読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

見田宗介『現代社会の理論 ―情報化・消費化社会の現在と未来―』(岩波新書 1996)バタイユの普遍経済学との共闘

『自我の起源』(1993年)につづく仕事。未来に残したいと著者が願っている七作品のうちの一作。見田宗介真木悠介)は人に何と言われようとつねに希望のある書物を書こうとしていると決めているところがあるのだなと、複数作品を読みすすめるうちに感じるようになった。楽観的とも思えるその思考や未来図については、乗るか乗らないか、非常に好みが分かれるところだと思うが、私個人は乗っかってみてもいいかなと思うようになってきている。専門の社会科学系の作品だけではなく、哲学や文学系作品のすぐれた読み手であり、紹介者であることが、信頼のもととなっている。大澤真幸との対談で語っていたカルロス・カスタネダ、『自我の起源』ではドーキンス宮沢賢治など、『現代社会はどこに向かうか』ではヤスパース、本書『現代社会の理論』ではバタイユの普遍経済学三部作と、次々と深くて鮮やかな読み方と引用展開を見せてくれている。副題の「情報化・消費化社会の現在と未来」や章題として大きく取り上げられている「限界問題」については、本社刊行から25年がたって、ますます問題が進行し、話題に上ることが多くなっているということで、喜ぶべき状況とは決して言えないが、それゆえに転回を求める潜在的欲望や機運も増してきているので、最近の各者提言とともに読んでみても悪くない一冊だと思う。

現代の情報化/消費化社会は、この人間の欲望と感受の能力の、原的な自由可塑性をこそ根拠としてその持続する「繁栄」を展開してきた。
そうであるならばわれわれは、この情報化/消費化社会の依拠する根拠、人間の欲望と感受の能力の可塑性と自由ということ自体を、根拠とし基軸として方向を展開すること、自然収奪的でなく、他者収奪的でないような仕方の生存の美学の方向に、欲望と感受の能力を回転することもまた可能なはずである。
(四 情報化/消費化社会の転回 自立システムの透徹 p169-170 太字は実際は傍点)

見田宗介は未来に向けて欲望と感受の美学の方向転換を説く。特徴的なのは、節制と禁欲からのアプローチを唱えるイヴァン・イリイチの路線ではなく、生の消費(蕩尽)からのアプローチを唱えるジョルジュ・バタイユの路線を歩むように進めているところ。物質的ではない自然的なものの合一や交歓というところからバタイユが選ばれているのだけれけれども、実際のバタイユ小説やエッセイの部類は、蕩尽とコード侵犯の組み合わせで表現されているので、一般的には品のいいものではない。それを見田宗介は品よく実践し浸透させていこうとするのだから、変わっていて面白い。少なくとも、未読の作品に手を伸ばしてみれば、思ってもみなかった人物の新しい側面というものを見せてくれてきているのだから、読まないという手はない。

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目次:
一 情報化/消費化社会の展開 自立システムの形成
二 環境の臨界/資源の臨界 現代社会の「限界問題」Ⅰ
三 南の貧困/北の貧困 現代社会の「限界問題」Ⅱ
四 情報化/消費化社会の転回 自立システムの透徹

見田宗介
1937 -

ジョルジュ・バタイユ
1897 - 1962