読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

廣末保『四谷怪談 ―悪意と笑い―』(岩波新書 1984)

日本近世文学研究者、廣末保の語りの芸が冴える新書の研究書。幕藩制が崩れ落ちていく中の文政八年(1825年)に初演された鶴屋南北の歌舞伎狂言東海道四谷怪談』を、当時の配役とその役者の特徴も踏まえながら、研究の文章において説明しつつ再上演させているかような臨場感あふれる一冊となっている。腐敗崩壊とそれを無理に抑え込もうとする息苦しい権力者側の抑圧の隙をつくようにして描かれたグロテスクスペクタクル。その台本を音声ガイド付きで読んだような読後感。
無法、非道、殺害、詭計、陥穽、強奪、嘲弄、哄笑。目も当てられぬような人物交差の重層展開だが、誇張され突き抜けた醜悪と猥雑が、好奇心を打ち抜いて、観客の語りの欲望を煽るような作品になっている。醜悪を描いて作品自体は醜悪に陥らず、狂言として成立しているところが古典として残った作品の力。江戸末期の作品で、その時代感覚の濃い洒落などがふんだんに盛り込まれているので、原作全部をいま読むとうんざりしかねない部分もありそうなのだが、廣末保の采配によって、その辺のことばによる展開の面白具合の調節が現代人向けになっていて、ちょうどよい。

「さてこそお岩が執念の、鼠となって妨げなすか」
「ともに奈落に誘引せん。来たれや民谷」
「おろかや、立ち去れ」
伊右衛門がお岩に切ってかかる。夥しい心火(青白い怪火(けちび))が立ちのぼる。伊右衛門、その心火を切り払い切り払いするが、精魂疲れて苦しむ。そのうちに糸車に心火が燃え移り、火の車となって廻り出す。お岩、伊右衛門を連理引きに引きつけ、その見得のまま、ふたりは切り穴より奈落へと消える。
(Ⅱ。顔にかかれたドラマ 1.「幽霊の不幸な物語」p86 )

舞台を実際に見るより、想像上の上演が豊かになりそうな読み解きの書。

 

【付箋箇所】
4, 17, 42, 86, 178

www.iwanami.co.jp

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廣末保
1919 - 1993
鶴屋南北
1755 - 1829

 

参考:

uho360.hatenablog.com