読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

松岡正剛『外は、良寛。』(芸術新聞社 1993, 講談社文芸文庫 2021 )芸術新聞社版についていた副題は「書くほどに淡雪の人 寸前の時、手前の書」

良寛の書を軸に語られた愛あふれる一冊。自身のサイト千夜千冊の第1000夜を『良寛全集』で締めくくっていたこともあり、どれほど力を込めた作品なのだろうかとすこし構えて読みはじめてみたところ、ベースが口述の語り下ろしということもあり、ですます調で流れるように展開していて、講演録を読んでいるようで心地よい。「淡雪の中にたちたる三千大千世界 またその中にあわ雪ぞ降る」の歌からはじまって「うらをみせおもてをみせて散るもみじ」の末期の一句で終わる本書は、良寛のしなやかで柔らかいが筋の通った感性を跡付けていく松岡正剛の縦横無尽な語り口が魅力である。私は芸術新聞社版で読んだのだが、書の図版の挿入のされ方も巧みで、書に親しみのない私のような読者にも良寛の書の良さの何たるかを漠然とながら感じさせてくれる構成になっている。

良寛は書くことで、書くことを捨てている人です。
文字というものは、もちろん言葉を情報保存するためにつくられた記号であるわけですが、文字がコミュニケーションの維持・強化・洗練から離れて、書としてリリースされていくときには、文字が犯してきたコミュニケーションの中での罪を捨てるためにあるようなところも感じます。
(一、はぐれていく書 「文字と意味」p34 )

書も、詩歌も、良寛にあっては自己主張ではなくどちらかというと自己の解放に近いもので、まったく威圧感がないところに妙に魅かれる。「本来無一物」の禅の精神が、強張ることなく人懐っこく言葉少なに佇んでいるような雰囲気なのだ。その佇まいを、最新の科学の研究成果から東西古代の哲人の思索まで、ジャズピアニストや黒澤明からハイデガー道元まで、驚異的な見分を交えながら松岡正剛は案内してくれる。証明はできないが良寛吃音説なども歌に使われている言葉のリズム感から想像しているところなども他の良寛本にはない特徴となっている。

 

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【付箋箇所】(芸術新聞社版)
17, 20, 32, 34, 51, 103, 128, 170, 183, 232, 328, 332

目次:
一、はぐれていく書
二、加速する無常
三、「はか」「ずれ」「あたり」
四、連音する連字
五、宝暦八年の少年
六、遊行の中の景気
七、塵は融通無礙
八、音を書く聞法
九、一二三四五六七
十、真から行して草々
十一、北方の中の決断
十二、なにかあやしき


松岡正剛
1944 -
大愚良寛
1758 - 1831

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com