生きているあいだに確実に超えられない業績を残している人に出会ってしまうのは結構つらい経験ではあるのだが、本を読むということは、そんなつらい経験をあえてもとめているようなところが大きい。
なぜ強いられてもいないのに読んでしまうかというと、これは体験したことがない世界だという読書中の認識のショックにまさる興奮が、人生においてはそうそう頻繁にはないからだ。
実人生では交わることのない人との出会いがもたらしてくれる僥倖。
でも、一旦出会ってしまうと、これには何としてでも応答してみたいという欲望が生じてしまう。ここからが苦のはじまり、精進のはじまりとなる。
欲望から逃れられないなら、欲望を受け入れるほかない。愛はいつでも成就するとは限らない。欲しいのは一方的な慈悲ではなく交歓としての愛ならば、到達できないケースも考慮しておかなくてはいけない。
松岡正剛の『外は、良寛。』でも曹洞宗の僧侶として歩みはじめた良寛の思想と表現についての優れた論考として取り上げられている本書は、著者の大学在籍中の20代前半の論考を集積したもので、若いながらも落ち度がない視野の広さと、良寛と道元という大きな存在にもしっかり渡り合えている知の力強さに、感服するほかない仕上がりとなっている。大学生時代にこの論考を書かれたらさすがに敵わないと諸手を挙げて称賛するほかはない。
ここ最近の読書歴では『空海の哲学』の作者と同一人物だということが知れて、やはり信頼が置けるレベルのものを産みつづける人物なのであるなと感心する。
関心あるものの導きとしての著書は、以下ウィキペディアのサイトで確認できる。
【付箋箇所】
18, 37, 45, 50, 54, 61, 72, 105, 112, 118, 119, 130, 133, 142, 144, 154, 180, 183, 187, 188, 196, 197, 202, 210, 18, 224, 228, 250, 256, 264, 273, 276, 278, 310
目次:
「読永平録」考
芸術と境涯
無常と任運
生死即涅槃
道元・良寛の『法華経』観
良寛の禅思想
道元の言語観
『正法眼蔵』の理路
道元の修道論