読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ロビンドロナト・タゴール詩集『迷い鳥』(原著 Stray Bird 1916 ニューヨーク, 川名澄訳 風媒社 <新装版> 2015) この世界という宴に招かれた客人の朴訥で悪意のない応答の言葉

1913年に英語版の『ギタンジャリ』によってノーベル文学賞を受賞した後、世界周遊の講演旅行を行う途中、第一次世界大戦が勃発し各国の国家主義が猛威を振るっているさなかの1916年、日本にはじめて訪問したときに発した詩想を機縁にまとめあげられたタゴールの短詩・アフォリズムをまとめあげた著作。

訳者解説を含めていちばんこころに刺さったのは、『迷い鳥』を献呈した人物の規格外の大きさ、日本滞在中にタゴールが身を寄せた実業家で茶人かつ三渓園の作成運営者で所有者であった原富太郎の存在なのだが、それは実社会でのインパクトということで、文芸の世界とはちょっと異なる実業と文化振興の領域での働きの大きさに、その必要は全くといっていいほどないのだが、自分と比べてしまあとこれはもう敵わないなと、身の程を思い返さざるを得ない位置関係にあることを確認してしまう。芸術にはパトロンが必要だけれど、自分はパトロンの器でもないし、芸術家の器でもないという、残酷かつ真っ当な、でも機会があるなら揺るがしたい状況を、すこし鬱々としながら再確認させられる。

制作者側と後援者側と単なる鑑賞者側の階層の違いがあることをやんわりと突きつけられながらも、詩人とパトロンの組み合わせに嫌みを感じないところも、タゴールと原富太郎両人の懐の深さと視野の大きさだと思い知らされる。なによりも、違いがあっても小人の思いをむやみに排除しないような佇まいと言葉づかいと行動が両人ともに貫徹されているところが素晴らしい。開いている門戸には居住まいを正すべきであるということを思い起こさせてくれる。礼には礼をという教えの、実践と誘惑としての稀有な在り方。

タゴールの詩やアフォリズムは、現状の私にとっては永遠に読める感じにある言葉のようだ。詩人としてのタゴールは、苦しくない距離感にいる詩というジャンルの言葉を語る人なんだと思う。タゴールは、たとえ感性や意見がちがっていても、貴方はそうなんですね、貴方の言葉を読む私は何か少しちがった感じ方をしていますと、こころの中で思っても許される距離感をもった人だ。守るべきものをもっていながら、人の話を聴いてみようとする用意のありそうな人だ。それは招かれた客人の素朴な礼節を常に備えているようで、偽りのない思いの表明を出ることはなく、異なる意見も並置する余地も残しているような、急がなさや緩さも持ち合わせている。

324 わたしの人生のなかには、がらんどうでしんとした場所がある。それは、わたしのいそがしい日々が光と風をはらんでいた空間。

エネルギーを発散焼尽する祝祭ではない、安息日における静かな対話を成り立たせるような時空のイメージを与えてくれるタゴールの一冊。原詩(英語)との対訳本。

 

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【付箋歌】
13, 50, 56, 71, 85, 171, 207, 219, 239, 254, 272, 296, 324


ロビンドロナト・タゴール
1861 - 1941
川名澄
1960 -

参考:

uho360.hatenablog.com