読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

松岡正剛『にほんとニッポン 読みとばし日本文化譜』(工作舎 2014) 「山と海が常世であるならば、その間にある野は無常の世であった」、日本。

松岡正剛の既刊書籍と「千夜千冊」サイトからの日本しばり引用リミックス。一般的な日本史、日本論では出会わないことばにつぎつぎ出会える一冊。出し惜しみなし。いいとこ、つまみ食い。

阿弥号は、もともと時宗の徒すなわち時衆であることを示す名号(みょうごう)だ。多くの芸能者が阿弥号を称したのは、時衆となり、阿弥号をいただくことが、みずからの芸能活動にとって好都合であったからだった。下級賤民の出身である芸能者は、阿弥号を称する僧体となることによって、社会の身分の上下関係をこえて、自由に世を渡ることができた。たとえば申楽から「能」をつくった観阿弥、その息子の世阿弥、(後略)
(「芸と聖のネットワーク」p175)

列島誕生から現在まで、日本を新たに知る充実の413ページ。表も裏も厚みのある日本。


www.kousakusha.co.jp

 

目次:
【い】イレズミの国、コトダマの国。——列島誕生から万葉まで
 ユーラシアの東の隅で
 フミとクニと仏
 万葉の国家構想

【ろ】華厳、マンダラ、南無阿弥陀仏。——平城建都から院政まで
 平城メトロポリス
 末法へ向かう平安
 あはれからあっぱれへ

【は】歩く西行、坐る道元。——鎌倉幕府から戦国まで
 方道理と今様
 芸と聖のネットワーク
 茶の湯下剋上

【に】天下の器量、浮世の気っ風。——織豊政権から幕末まで
 秀吉の朝鮮、家康の中国
 江戸の概念工事
 爛熟するメディア都市

【ほ】黒船、敗戦、原子力。——富国強兵から平成まで
 開国の右往左往
 昭和の忘れもの
 軍事の、経済の、生活の大国

 

【付箋箇所】
20, 40, 42, 47, 78, 117, 127, 138, 159, 167, 175, 187, 214, 243, 308, 312, 364

 

松岡正剛
1944 -