読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

シャルル・ボードレール『小散文詩 パリの憂愁』(原著 1869, 思潮社 訳・解説:山田兼士 2018)

2022年現在一番新しい翻訳かと思って調べたら、2021年はボードレール生誕200年ということもあってかもうひとつ新しい翻訳が出ていた。なんにせよ研究と読解の成果が新しく出てくることは、ボードレールに触れる機会が増えるということだけ見ても、いいことだ。
本書は、自身詩人でもあり大阪芸術大学教授である山田兼士が、ボードレールの50の散文詩篇ごとに解説をつけながら、全体の構成を浮かび上がらせようとしていて、平明な訳で読み取りやすくしかも味わいの複雑さを教えてくれる一冊となっている。とくに構えることなく頭から読みすすめていけば、内的連関が豊富な『パリの憂愁』の世界を多角的に読みとることができるようになっている。通読後にさらに冒頭から読み返すことが勧められているが、実際にやってみるとより見通しがよくなり、作品との距離が近く感じられるようになる。
現代詩の発端に位置するボードレールの『パリの憂愁』は、大芸術から小芸術へ、大きな物語から卑小で断片的な物語へ、生まれながらの詩人の書く詩から庶民階級層のいかがわしい出自を持つもののが書く詩へ、伝統的な規約に添った制作から無意味と境を接した危うさの中での制作へ、といった様々な移行の側面を見せてくれている。絵画の世界でなら、エドゥアール・マネの安定した雄弁さを決定的に欠いたスキャンダラスな作風に類似を見出せるような質の芸術観と創作態度である。
実際、ボードレールは一回り年下のマネをたいへん評価していて、『パリの憂愁』にもマネを題材に制作されマネに献呈された一篇が含まれている。第30詩篇「綱」がそれで、マネの絵画制作の細かな部分の使い走りの役をしていた少年(ちなみに「サクランボを持つ少年」や「少年と犬」のモデルでもあった)の自死をめぐっての、大人たちの卑俗な振舞いとボードレールが創造したフィクショナルなマネの心理の移り変わりが対照的に描かれている。さらに、「オランピア」のスキャンダルで疲弊していたマネに対するボードレールからの激励の手紙の紹介も詩篇のすぐあとの訳者山田兼士による解説で補強されていて、神話的至高の世界から現実的卑俗の世界へ眼差しが反転する時代の流れを肯定し推し進めるボードレールの姿勢が強調されている。この第30詩篇の翻訳と解説を読んでみれば、本書の刊行意図とその価値がかなりはっきりと伝わってくる。
他の詩篇の翻訳と解説も同じ姿勢が貫かれているため、詩集全体の構成についても読者がより意識しやすく、興味深く読めるようになっている。研究書やボードレール自身の批評文などを読まなくても、本署だけでかなり鮮明なボードレール像が得られることは特筆してよいことだと思う。

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シャルル・ボードレール
1821 - 1867
エドゥアール・マネ
1832 - 1883
山田兼士
1953 -