読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

監修:宇野邦一+鈴木創士、訳:管啓次郎+大原宣久『アルトー後期集成Ⅱ 手先と責苦』(河出書房新社 2016)

明晰と錯乱の混淆した類いまれな作品。アルトーが生前に構想していた最後の作品は、長期間におよぶ精神病院収用の最後の数年間に書かれた書簡と詩的断章からなるもので、妄想と呪詛が現実世界に対して牙をむいている。全集編者による推奨の短文に「アルトーのすべての作品のうち、もっとも電撃的であり、彼自身がもっともさらされた作品」とあるように、もっとも近寄りがたく救いのない凶暴な狂気性が全篇にわたって展開されている。特に書簡に見られる妄想と個人的非難の数々は、実際に受け取った人物が困惑するほかないであろうもので、直接の交流は勘弁願いたいと思わせるに十分なものである。しかしながら、その妄想と呪詛のなかに、凡庸ならざる認識と、取り澄ました世の中に揺さぶりをかける突出した生の負の強度が含まれているところが、多くの人を惹きつけているということもまたよくわかる。なかでもアルトーによる詩人の評価に関しては首肯できるものが多く、殊にロートレアモン読解の短文「ロートレアモンについての手紙」はすばらしく、似通った魂の持ち主であるところから、あざやかにロートレアモン=イジドール・デュカス像を描きあげている。また、かつて磔にあったキリストであるという共通した妄想を持ったニーチェについての言及は多くはないが、アルトーの狂気とニーチェの狂気の親和性も折々感じさせるところがあった。

ジェラール・ド・ネルヴァルエドガー・ポー、ボードレールロートレアモンニーチェアルチュール・ランボーは、怒り、病、絶望、あるいは貧困によって死んだのではなく、人がかれらを殺したいと願ったから死んだ。――そして彼らのことを気にくわない連中だと考えたばか者どもの神聖ぶった一群が、あるとき一丸となって、かれらに敵対したのです。
アンドレ・ブルトンへの手紙 パリ、1946.6.2 より)

アルトーの『ヴァン・ゴッホー社会による自殺者』が刊行されたのは1947年で、ゴッホについても上記引用にあげられた詩人たちと同様の想いから書きあげられていたことを、本書を読みながら思い返していた。もちろんアルトー自身も、これら悲劇的芸術家に並んで見劣りすることのない傑出した人物であることは間違いない。

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目次:
手先と責苦
 断片化
 書簡
 言礫

アントナン・アルトー
1896 - 1948