読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

集英社『現代美本の美術 第13巻 鳥海青児/岡鹿之助』(1977)で岡鹿之助の作品44点を見る

金井美恵子がフランシス・ポンジュの詩「動物相と植物相(ファウナとフローラ)」を引用しながら岡鹿之助を語ったエッセイ「思索としての三色スミレ(パンセとしてのパンセ)」を『切り抜き美術館 スクラップ・ギャラリー』に出会ってしまったがために、そこで掲載されていた5点の図版よりももっとたくさんの岡鹿之助を見てみたいと思い、すぐに図書館に借りに行った画集。

作品によって香月泰男熊谷守一の両者のテイストを想起させもするカップリング対象の鳥海青児の絵もはじめてちゃんと意識して見てみられたことも個人的には収穫であったが、なにより岡鹿之助の独特な世界にしっかり浸かれた時間を持てたことがよかった。美術館は混んでいるのでなかなか足を運ぶ気にはなれなくなってしまってから久しいけれど、区立美術館、県立美術館クラスで展示会のイベントがあるようならば実際の作品も目にしてみたいと思わせてくれるような作品であり、複製画であり、解説であった。

スーラがフランスでもまだよく知られていなかった1920年代後半のフランスに移り住み、当地で点描の技法による作品を制作し、現地で作品を購入されるまでの評価を得たという岡鹿之助。事後的に出会い、研究もしたであろうスーラの点描画の、個人的には特に風景画の画面構成や空気感を参照した痕跡のようなものに、スーラの作品との差異あるいは隔たりとともに、興味をより掻き立てられながら観賞した。

岡鹿之助の作品には、人物そして動きある動物が登場しないのが素人にもわかる特徴で、本画集で例外として挙げられるのは素描「シセノファール(犬頭の人体)」と解説パート冒頭に置かれた作品名もないフクロウの素描の2点だ。それさえ幻想の領域の生き物のようで、生臭さはなく、叡智界の領域にあるものの映像のような印象がある。そして、どちらかというと空間的には閉ざされ、時間的には推移が表にあらわれないような、それでいて、動きのある人間の生活や生命の活動、はたまた人が住んでいるであろう地域や世界の活動といったものを感じさせる風景というか構成された複数の事物がゆるぎなく存在している画面が、見る者を引き込んで離さない。無時間に近い永遠の一瞬を過ぎ去る天使の寂しさと充実を感じさせてくれるような画面だ。色彩はスーラに比べるならば、すこし暗く、靄がかかり、霞んで、遠のいている。ひんやりしているがほのかにあたたかい、特別な権利なしでも気のすむまで休息が許されるような充実感ある鄙びた世界。

 

岡鹿之助
1989 - 1978