読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(原著1932, 早川書房 早川epi文庫 2017)

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(1949)と並ぶディストピア小説の名作。古典として残り、読まれ続けられている作品だけあって、とてもよく出来ているなという印象が強い。オーウェルの『一九八四年』がカフカ的悪夢を感じる悲劇的な重厚さに満ちているのに比べると、ハクスレーの『すばらしい新世界』は世界の統治者側と逸脱者側の描き分け方が戯画的で諧謔的でもありエンタメ感が強い。SFの翻訳を中心に活躍する大森望がノリノリで訳し、あとがきでも絶賛しているわけも非常によくわかる。T型フォードが発売された年を紀元とするフォード紀元AFが用いられ、ヘンリー・フォードが神として崇められる世界と、禁書としてのシェイクスピア。『知覚の扉』(1954)にも通じていくのであろう麻薬と化学物質による身体と感情のコントロールへの関心があり、徹底した教育による思想の刷り込みというか洗脳があり、試験管ベイビーとして生まれた家族のない隠元と胎生の人間、安全安定と自由の危険。一方がダメということで一方的に批判の量が偏ることがなく、最後までアイロニカルに物語が展開しているところに作者の才能を感じた。また、よく出来た虚構の世界設定であるがゆえに、作品の中で語られていないところが逆に異様に気になったりもした。たとえば、本作品の舞台はイギリスのロンドンであるが、この世界の日本はどのようになっているのか? また、技術によって出生から死まですべてがコントロールされている世界は、管理者側によってわざわざ運営される必要があるのだろうかといったところ。すべてがコントロールされているなかで世界が発展もせずに持続する意味や目的は何か? この疑問は作品に埋め込まれているわけではないので、当然答えもありはしないのだが、もしかしたら年代の循環がないと今ある世代構成や分業自体が破綻して世界の安定が壊れ、別世界が要求されてしまうという不都合があるからではないかと勝手に想像した。いまある世界が仮に意味がないとしても、勝手におしまいにすることはおそらくできない。

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【付箋箇所】
35, 57, 131, 152, 181, 213, 225, 295, 303, 305, 325


オルダス・ハクスリー
1894 - 1963
大森望
1961 -