読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

藤原清輔朝臣 夢のうちに五十の春は過ぎにけり今ゆくすゑは宵のいなづま

夏の金曜日の夕暮れ、仕事を終えて図書館に予約しておいた本を取りに行ったのち、中身をざっくりと確認。約二週間分くらいの十冊。丸谷才一の日本古典文学批評にうながされて新古今和歌集編纂期前後に関係する著作をまとめて読もうとして選んだラインナップは、実際に手にしてみると想定外の近寄りがたさがあるものが多かったが、それもなにかの縁と思いながら迎え入れた。
様子をうかがうためにパラパラと覗いているなかで、塚本邦雄の二冊が異様な輝きを放っていることに刺し貫かれ、しばし沈潜した。『塚本邦雄新撰小倉百人一首』。定家撰の小倉百人一首に全面的に対抗して、同一歌人の別の歌を新たに選出し、解説を加えた著作。正月にかるた取りができるような穏健な撰歌ではなく、禍々しい人間の業があらわれ出る撰歌で、目を見張る。
そのうちでも、50歳近辺を詠った藤原清輔の歌は、一読、凍り付くような衝撃が身に走る。塚本邦雄の評では、定家選出の小倉百人一首の清輔の歌は、箸にも棒にも掛からない凡作とこき下ろされているが、いやいや、こちらも身に沁みいるような味わいもあり、歌人としての藤原清輔の格の大きさを教えてくれていたのだと、ほかの歌も併せて読むことで知ることができるようになっている。

定家撰小倉百人一首の藤原清輔朝臣の歌
 ながらへばまだこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は戀しき

塚本邦雄新撰小倉百人一首の藤原清輔朝臣の歌
 夢のうちに五十(いそぢ)の春は過ぎにけり今ゆくすゑは宵のいなづま

憂いの感情表出の多彩さで藤原清輔朝臣は現代人をも魅了する。

 

塚本邦雄
1920 - 2005
藤原清輔
1104 - 1177