読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【八代集を読む 番外編その2-a】後白河院の歌-『千載和歌集』と『新古今和歌集』収録歌

後白河天皇が位につく前の評判といえば、今様狂いの文武ともに到底帝に相応しい人物ではないというのが通り相場であり、前帝の近衛天皇が若くして薨したために再燃された保元の乱にいたる宮廷内の勢力争いが顕在化しなければ、位に着くこともなかったであろう立場にいた人物であった。

それが、鳥羽院崇徳院の相剋、美福門系と待賢門院系の公卿の対立の中、鳥羽‐美福門院系の権力維持と、崇徳‐待賢門院系の排除のための操作子として、保元の乱前に実験のない中継ぎ的な権威象徴として即位させられ、退位した後も政権の筆頭として居続けるなか、世の推移とともに、大きな実権も手にして、公卿社会から武家社会への世の移り変わりに深く関わることになった後白河院

鎌倉初代将軍頼朝をして「日本第一の大天狗」と言わしめたその存在は、傍系の者が主流に属する者達の思い及ばない生き様から打ち出した数々の策略の現状分析と未来思考を高精度で生み出しつづけていた。

暗主といわれることの多い後白河院ではあるが、その生涯の実際を追跡すると、案に相違して、聡明な姿が浮かび上がってくることが多い。

今回、改めて『新古今和歌集』を読んでみたとき、収録歌数は四首にすぎないものの、読みすすめていくなかで、旧来の和歌中心の文化的な教養の世界においても、後白河院の和歌は決して埋没してしまうような作品ではないと思うようになった。

近臣による代作かとも思いもしたが、併せて読んでいた大岡信の『うたげと孤心』のなかで大きく取り上げられていた後白河院の今様を軸に据えた文芸に対する思いと実際の活動を知るにおよんで、これは真正の文化人であったのだろうと思いを新たにした。

隔世遺伝で孫の後鳥羽院に連なることになる血の滾りを感じさせる人物である。

今様では取り上げられることの多い後白河院ではあるが、あまりその和歌がクローズアップされることはなかったと思うので、私自身のためにも、とりあえず、ここに集めてみることにする。

 

千載和歌集収録歌(院御製)7首】78, 360, 606, 717, 797, 798, 866

078     巻第二春下    
    池水にみぎはのさくら散りしきて波の花こそさかりなりけれ
360     巻第五秋下    
    もみぢ葉に月のひかりをさしそへてこれや赤地のにしきなるらん
606     巻第十賀歌    
    幾千世とかぎらざりける呉竹や君がよはひのたぐひなるらん
717     巻第十二恋歌二    
    恋ひわぶるけふの涙にくらぶればきのふの袖はぬれし数かは
797     巻第十三恋歌三    
    万世(よろづよ)を契りそめつるしるしにはかつがつけふの暮ぞ久しき
798     巻第十三恋歌三    
    今朝問はぬつらさに物は思ひ知れ我もさこそは恨みかねしか
866    巻第十四恋歌四    
    思ひきや年のつもるは忘られて恋に命の絶たえんものとは

 

新古今和歌集収録歌(後白河院御歌)4首】146, 579, 1581, 1726

0146    巻第二春下    
    惜しめども散りはてぬれば桜花いまは梢をながむばかりぞ
0579    巻第六冬    
    まばらなる柴の庵に旅寝して時雨に濡るる小夜衣かな
1581    巻第十六雑歌上    
    露の命消えなましかばかくばかり降る白雪をながめましやは
1726    巻第十八雑歌下    
    浜千鳥ふみをく跡のつもりなばかひある浦に逢はざらめやは

 

※引用は、久保田淳校注『千載和歌集』(岩波文庫)、久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫)より

 

 

後白河院
1127 - 1192