読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ベンヤミンの『メディア・芸術論集』とパウル・シェ―アバルト『虫けらの群霊』(原著 1900, 訳・解説:鈴木芳子/絵:スズキコージ 未知谷 2011)

ベンヤミンの『メディア・芸術論集』を読み返していたところ、シェ―アバルトを褒めている「経験と貧困」というエッセイに目が止まったので、手に取って読んでみた小説。出版社未知谷の編集者による煽り文句は、惰眠をむさぼる「善良な市民へ疾駆するプレ・ダダの冒険譚! というもので、既成価値の破壊を掲げるダダの先駆者だけあって、かなり変わった話となっている。

主人公は自立した円い星としての神になろうとした下等な虫けらの霊たちで、数兆の霊たちがリュージュ型のマシンに乗ってレースを行ない、先頭の百万が神になれるという枠組みの遍歴譚で、精神の変容を追う教養小説のかたちをとったパロディ的作品。クニポと呼ばれる霊と黄色い霊が発話主体として出てくるものの、実際の冒険はレースの途中で同一集団として固まって行動している一万の霊で、基本的に個体差のない言動をとっているところが、近代小説というよりも空想小説やおとぎ話に近い。

霊の形態も「ユリのように白い頭部をした灰色の霊」と描写されるもので、レースを準備し管轄している黒い従者たちも「ヘビのような足と、サンショウウオに似たでっぷりした頭部の持ち主」とされている。この話に、イラストレーターのスズキコージロールシャッハ・テストに使われそうなコラージュ作品がバンバン挿入されていることで、より不思議な感覚に襲われる。

はっきり言って初読では筋の展開も挿絵のインパクトも強烈であるために、集中できずに適当な像を結んでくれない場面が多く発生した。一度読み通したあと、訳者渾身の解説を読んでから、何気なく読み返してみるときのほうが、この小説のユーモラスな味わいを楽しめると思う。そして、当たり前ではあるのだが、挿絵が作品の記述をうまく再現しているものであることにも気づく。

「どうにも合点がいかなくても、シチュエーションにやむをえず順応しなければならないとき、ユーモアが生まれる」というのは、あるときクニポが黄色い霊に言ったセリフで、はからずも奇妙なシチュエーションに順応しているケースがちりばめられている本書の可笑しさを自ら語っているようであった。

シェ―アバルトを賞賛していたベンヤミンの「経験と貧困」には、「人類は、その必要があれば、文化が終わったのちにさらに生きながらえてゆく心構えをもっている。肝要なことは、人類が笑いながらそうするということだ」(山口裕之訳)とある。また、訳者鈴木芳子の解説にもベンヤミンの次の言葉が引かれていた。「思考に向かう出発点として笑いにまさるものはない。ことに思考にチャンスを与えるには、ふつう魂の振動よりも横隔膜の振動のほうが、遙に具合がいい」(石黒秀夫訳)。こちらは引用元が明示されていなかったが、調べてみたところパリのファシズム研究所でのスピーチ「生産者としての執筆者」のなかの言葉であることがわかった。

シェ―アバルトはもともと宣教師を目指していたらしいが、カントとショーペンハウエルの哲学に耽溺し、同時に美術批評から表現の世界に入っていったという。もとから話好きで前衛好みの気質があったところに、哲学的思弁をうまく消化してストーリーに組み込む技術を得て、甘味を引き立たせる苦味や塩味が効いた奇譚を何篇もつくりあげていったようである。その作品群のなかでも、本書はかなり突拍子もない作品なのではないだろうか。

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パウル・シェ―アバルト
1863 -1915
鈴木芳子
1957 - 
スズキコージ
1948 - 
ヴァルター・ベンヤミン
1892 - 1940