読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エメ・セゼール二冊『帰郷ノート/植民地主義論』(訳:砂野幸稔 平凡社 1997, 平凡社ライブラリー 2004)、『クリストフ王の悲劇 コレクション現代フランス語圏演劇01』(訳:尾崎文太+片桐祐+根岸徹郎、監訳:佐伯隆幸 れんが書房新社 2013)

エメ・セゼールはフランスの海外県でカリブ海西インド諸島の島のひとつマルティニーク出身の詩人、政治家。ネグリチュード(黒人性)という概念を提起し、黒人の地位向上と近代西欧からの精神的解放ののろしを上げ、植民地主義を批判した人物。代表作『帰郷ノート』(1939)はフランス本土で出版された当初はほとんど読まれることもなかったが、マルティニークに帰って黒人解放運動の砦として発刊していた文芸雑誌『熱帯』を、ナチスドイツ傀儡政権を逃れてニューヨークへ亡命途上のアンドレ・ブルトンに見いだされたことがきっかけで、広く紹介され熱心に読まれることとなった。作風がシュルレアリスト的であったことが幸いしたのだと思う。

しかし<悔恨>は殺せるだろうか、自分のスープの皿の中にホッテントットの頭蓋骨を見出したイギリス婦人の仰天した顔のように美しい悔恨は?
(「帰郷ノート」より)

後の評論「植民地主義論」(1955)では資本主義とブルジョワジーの野蛮を告発する詩人としてロートレアモンを取り上げ、その慧眼と詩的表現を賛美することになるのだが、その詩的な傾向は処女作の「帰郷ノート」にも十分あらわれている。「植民地主義論」では西欧側の不寛容さを代表する論客としてロジェ・カイヨワが取り上げられているのだが、シュルレアリストであった時期もあり、またロートレアモンに関する論考もあるカイヨワとエメ・セゼールの論争の全体像はエメ・セゼール側の主張だけからはよく分からない。詩に重きを置いて言論活動を行っているところからも両者に接点はありそうなのだが、人種主義をめぐっての言論活動に対する観点と判断基準に齟齬があるのはある程度想像がつく。ロジェ・カイヨワが称賛する詩人サン=ジョン・ペルスは植民地時代のプランテーション経営者家族出身で、エメ・セゼールとは対極とも言える出自であり、エメ・セゼールの戦闘的作風と異なる高踏的なものであるからだ。ロジェ・カイヨワロートレアモン論は未読なので、ロートレアモンを読む二人の姿勢の違いもこれから調査して確認してみたい。

『クリストフ王の悲劇』の方は1963年刊行。1945年にフランス共産党から出馬し、マルティニーク島の首府であるフォール・ド・フランス市長に当選、長く政治活動を行っていくあいだの経験から、より民衆に訴えかけやすい形式として劇を選んで力を入れていくようになった時期の作品。内容はハイチ独立の英雄クリストフ王が、白人支配からの脱却と黒人国家の繁栄のためによかれと考え打ち出した政策が、事の達成を急ぐあまりに独裁色を強め恐怖政治に陥ってしまう経過を、悲劇として、避けるべき事態として、考察の対象となるように描いている。独立後の黒人側内部での問題が前面を占めているため、『帰郷ノート/植民地主義論』の対白人支配者の表現に比較して歯切れの悪さが持ち味なのだが、なかなかその歯切れの悪さを評価することは難しい。

クリストフ、掘ったて小屋の屋根を
ほかの掘ったて小屋の屋根に乗せようものなら
そいつは下にはまり込むか、大きすぎるかよ!
(「クリストフ王の悲劇」より)

現実の政治活動の中心に立つようになってからのエメ・セゼールは、現実路線上での活動が基本姿勢となったため、黒人による脱植民地化運動の視点からは弱腰との批判を受けるようにもなる。『帰郷ノート/植民地主義論』の訳者による解説「エメ・セゼール小論」でも「帰郷ノート」からの撤退とみられても仕方のない政治家としての現実の活動が多くとりあげられているが、ポストモダン以降の時代状況にあって解放運動の先駆者としての位置を批判的にも肯定的にもとらえ直す作業が活発化していることも指摘されている。エメ・セゼールが亡くなったのも21世紀になってからのことで、まだまだ言論の中心領域に存在する大きな人物であろうことが伝わってきた。

 

www.heibonsha.co.jp


【付箋箇所】
『帰郷ノート/植民地主義論』(単行本)
33, 35, 39, 95, 97, 128, 134, 144, 161, 163, 168, 202, 209, 212, 238, 244
『クリストフ王の悲劇』
56, 122, 129, 150, 153, 155

エメ・セゼール
1913 - 2008

    

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com