読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マリオ・プラーツ『官能の庭Ⅰ マニエーラ・イタリアーナ ルネサンス・二人の先駆者・マニエリスム』(原書 1975, ありな書房 2021)

本書は1993年にありな書房から訳出刊行されたマリオ・プラーツの芸術論集『官能の庭』の分冊版の第一巻。全五冊の刊行が予定されている。分冊再刊行にあたっては監修者の伊藤博明により一部論考の差し替えと翻訳の再検討が行われているようだ。
一冊の本を五冊に分割すると入手するのに若干費用と手間が増えるということはあるものの、とりあえず一冊読みはじめてみるという参入障壁が低くなるのと、なにより寝転がって気軽に読める分量に収まってくれているのがありがたい。なにしろ一冊本のほうは720ページということで、仰向けで読もうとすると腕がもたないレベルの本だ。内容的には学術的というよりはエッセイ風の比較的近寄りやすいものなので、造本も軽いほうが個人的には似つかわしいのではないかと思ったりもする。

美術品の図版もモノクロではあるけれど豊富に挿入されていて、見ているだけで楽しい美術論集であるが、この第一分冊を読み通してみて残るのは文学作品や小説家に対する言及であったりする。美術史家であるとともに大学で文学を講じてもいた文学研究者でもあるので、その見解には信憑性があり、その上なんだか実作にあたって確かめたくなるような導入の仕方がされている。「ラビュリントス」を論じるなかでアラン・ロブ=グリエの『迷宮の中で』がもたらす印象をジョバンニ・ジェットの『エルサレムの世界にて』の引用と絡めて語っていたり、「グロテスク」を論じるなかでイタリア人の非ロマン主義的精神性を語りながらイタリア的ではないイタロ・カルヴィーノに言及したりするところがとくに印象的であった。美術と文学双方に目配りしながら論を展開するありさまは、ほかの個所では次のようにあらわれている。

ミケランジェロは常にもっとも摸倣することの難しい人物であった。われわれがよく学びうるのは、天才よりも才能ある職人からであろう。なぜなら、前者はもはや摸倣することを許さないほどの極みに達しているが、後者は実験的な手法、道具、着想によってその才を補っているからである。ダンテやシェイクスピアの足跡をなぞろうとして罰を受けなかった者はいない。それはレオナルドとミケランジェロの場合も同様である。T・S・エリオットはかつてこう述べた。「もし諸君がシェイクスピアを模倣しようとするならば、かならず言語表現の仰々しく、不自然な、また暴力的な捻れを生みださざるをえない」。
(「マニエーラ・イタリアーナ」p92 )

短い文章の中に多くの美術家と詩人とを登場させてしっかりとした位置づけを与えながら論を構成していて、それでいながら息苦しさも重さもない文章はとても魅力あるものである。

 

【付箋箇所】
66, 68, 92, 105, 110, 112, 113, 140

目次:

プロローグ 逆光のマリオ・プラーツ  伊藤博
ヒエロニムス・ボスの〈奇妙な相貌〉
一五世紀版ジョイス
ルネサンスといくつもの再生
逆光のルネサンス
ルネサンス
マニエーラ・イタリアーナ
ラビュリントス
マニエリスムの奇矯な彫刻
グロテスク
ボマルツォの怪物
カプラローラ
エピローグ ルネサンスからマニエリスムへ  伊藤博

 

マリオ・プラーツ
1896 - 1982
伊藤博
1955 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com