読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

柏倉康夫『評伝 梶井基次郎 ―視ること、それはもうなにかなのだ―』(左右社 2010)

マラルメの研究・翻訳で多くの著作を持つ元NHKキャスターで放送大学教授でもあった柏倉康夫が25年の歳月をかけて書き上げた大部の梶井基次郎伝。多彩な人物のライフワークのひとつであろう。こだわりを持っている対象ではあろうが、著者の多才さゆえに偏りの少ない広い視野からの評伝に仕上がっているのではないかと感じた。創作に関する重要なことは繰り返し詳細に書く一方で、一般社会から逸脱しているような梶井基次郎の振舞いに関しては擁護もしないが非難もしない中立的な叙述者の立場に立っていて嫌みがない。本人の作品や作品草稿あるいは日記や手紙の資料だけでなく、関わりのあった人物たちの創作、批評、手紙等も偏りがないよう紹介検討されていて、より現実に近い梶井基次郎像を提供してくれているのではないかと感じさせてくれる。

重い肺結核療養中のなかで発生した宇野千代尾崎士郎梶井基次郎三好達治の四つ巴の関係性は、本人たちにもしかと分からぬなかで濃縮展開されている様が叙述されていて、それこそひとつの小説を読んでいるような感触もあった。大正末から昭和初頭には標準的でもあったのであろう繊細かつ魁偉な若き文学者や文学志願者たちの肖像が重なり合い、熱気と不安の渦巻く当時の雰囲気をよく伝えてくれている。

梶井基次郎、31年と1ヶ月の生涯。創作活動は1923年から32年までの、主に20代、10年弱の期間であった。創作の最初期から肺結核の症状はあり、小康状態と病状の悪化を振り返し、創作に賭け、自らを弾けさせるように生き抜いた姿には心動かされるものがある。破滅と隣り合わせの境涯を自らすすんで選んだようなところがあって、親兄弟の立場からすれば小言も言いたくなることが多々あったはずだが、気性が似た親族ゆえに万事受け止められ、死者生者ともに怨念にとらわれることなく別れを迎えたところには救いがあった。

生前執筆活動で生活を自立させたいとの願いはありながら、最後まで同人作家の域を完全に出ることはなく、ただ一度の依頼原稿で得た原稿料230円(現代換算35万円弱:1円→1500円換算)と、ただ一度の印税75円(現代換算11万円ちょっと)を得たに過ぎない。あとは同人費等持ち出しばかりの創作活動であったが、やめないでくれたこともあって今現在でも現役の古典作品が残されている。新潮文庫の『檸檬』やちくま文庫の『梶井基次郎全集』など現役の商品としてしっかり流通している。

人間の本質に根差した想像力が生みだす普遍的な奇妙さを浮かび上がらせる表現。異常な感覚ではあるが、一般におけるよくある偏りを引き付けづにはおかない力を持つ現実との二重写しの幻想の世界。梶井基次郎の作品は現実を凌駕する幻想世界との架け橋をつくろうと言語を彫琢することで出来ている。その彫琢の工程、いつまで待てばよいかわからぬ待機・構想の時期と、どれほど必要かわからない改稿・推敲の時期が、残された資料から克明に再現され検討されているのも本書の特徴で、創作の魔に憑りつかれた人間の業と、業にくずおれず自身の願いに忠実であった者の尊い姿を見ることができる。

※音楽ほか聴覚に関する梶井基次郎の感覚の鋭さなどの指摘もあって、梶井基次郎も心を打たれたという(「版画」ほか)ドビュッシーの楽曲を聞きながらの読書体験だった。

 

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【目次】
第1部
  同人たち
  城のある町
  レモン
  「瀬山の話」
  幻視者
  「青空」創刊    
第2部
  大学生活
  行き悩む創作
  青春賦
  それぞれの道
  「ある心の風景
  「新潮」への誘い
  二重の自我
  大正末
第3部
  「冬の日」
  「冬の日」の評価
  闇と光
  湯ヶ島
  三好との友情
  素材
  白日のなかの闇
  同人誌仲間
  昭和三年
第4部
  上京
  帰阪
  社会への関心
  「根の深いもの」
  移転
  昭和五年秋
第5部
  『檸檬
  『檸檬』の反響
  「のんきな患者」
  終焉

【付箋箇所(上下二段組み 上段:u, 下段:l)】
23u, 31l, 56u, 59u, 66u, 67l, 77u, 83u, 158l, 180u, 203l, 240l, 246u, 250u, 254u, 259l, 296l, 312u, 313l, 321u, 350u, 354l, 363u, 400u, 406l, 442l, 45ou, 459u, 460u

梶井基次郎
1901 - 1932

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柏倉康夫
1939 - 

柏倉康夫 - Wikipedia