『十年』につづく高橋睦郎の第十句集。
人の世に出る哀しみ可笑しみ冷たさ温かみを手慣れた手つきで何事もないかのように掬いあげて見せてくれる稀に見る得難い翁が現示する今の世界のひとつの様相。生死の境が曖昧であるような空気感のなかで強烈なエロスとタナトスが顔を覗かせて見せもする。まことに不思議な佇まいを持った日本的な幽玄の世界に触れさせてくれる一冊。
膨るるやほととぎす待つ雨の山
啓蟄やすなはち鳥の咽喉奈落
哀れ蚊も雁ネも脚揃えへ飛ぶ
わが老ィ血未だ温しや蚊の嘴鋭(はしど)
百千鳥朝寝のうちも命減る
選句がその人をあらわすということも言われる俳句の世界であるが、高橋睦郎の自選句と全く重ならないところは俳句素人で仕方のないところ。それでもそういう読者もいないと俳句界も賑わわないと思いもする。しっかりした栞文を書いているような俳句界エリートのような人ばかりではないのだ。落ちこぼれもまた住まえる世界のほうが心地よいだろう。
さて、本書で優れているのは俳句実作だけではない。最後に置かれた3ページに満たない跋文はそれだけで長篇評論一本にも匹敵するような芭蕉論であり現代俳句論でもある。ここだけでも本書を手に取ってみる価値はあると思う。旧字旧かなで書かれているけれども恐ろしく新しい世界の突端に向き合わせてくれる。
栞・堀田季何 小津夜景 岩田奎
◆自選十五句(帯やふらんす堂のサイトに掲載されているもの)
活字てふ文化滅びん夜の秋
陽炎や人形腑分け綿ばかり
竪の橫の聲交へ雨夜ほととぎす
罅痛し皸リ悲し紀元節
もののふの耶蘇蛆たかり肉薰れ
乳房より乳汁り白し搗上る
梓弓春は一の矢一の的
戀なべて泥うたかたと業平忌
秋蚊帳にまぐはふ靈マか現身か
火を垂るや又掬ヒ上げ飛ぶ螢
草能の後ろいつより月在りし
踏外す若いかづちかあの鳴るは
木のくれの舞一トさしか人一生
鶏頭のいうれい立てりあの邊り
雪頻れ逹磨俳諧興るべう
高橋睦郎
1937 -
参考: