読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『菜根譚』 岩波文庫版と講談社学術文庫版

菜根譚』の書名は宋の汪信民のことば「人咬能得菜根、則百事可做(人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし)」によるもので、堅くて筋の多い野菜の根をよく噛んでいれば真の味わいを理解することができるという意味を込めている。ただ、実際に『菜根譚』を読んでみると古典作品というわりには緩さがある。儒教思想を基本とした処世訓ではあるが、仏教や道教の教えもはばかることなく取り込んでいて、論理的な厳密性よりも、柔軟な人生訓として実践的に利用されることを志向しているようだ。著者の洪自誠については多くは伝わっていないようだが、『菜根譚』は政治の世界から離れて隠居した後の作品であるらしい。個別具体的なものへの批判的分析ではなく、世間の一般的傾向を世俗から脱した立場から距離感をもって教え諭すようなアフォリズム的な断章の集成で、断章同士がちょっとした齟齬をきたすようなところを持っていても、拘泥することなく緩やかにまとめ上げられている。天から与えられた本来的な性をのびやかに憩わせることを眼目としているので、儒仏道三教の教えに沿いながらそれぞれの教えによって生が萎縮し枯れてしまうことを警戒しているところが目立ち、読む者をひとつのところに押し込めようとはしていない。きわめて自由度の高い書物であるようだ。

菜根譚』は文庫本で気軽に購入して読めるところも魅力のひとつで、全文訳のある注釈書として岩波文庫版と講談社学術文庫版が現在も版を重ねて書店で手に取ることができる。複数の翻訳、複数の注釈があるのは、比較し目線を変えながら読みつづけることが可能となるので、一度興味を持ったそのあとからのほうが価値が増してくる。長く付き合いたいものには多くの解釈があってそれを知ることできる環境が整っているほうが断然良い。

岩波文庫版と講談社学術文庫版では岩波文庫版のほうが刊行は古く、1975年から出版されている。訳注者は今井宇三郎(1911-2005)、本文、書き下し文、語釈、現代語訳の四段構成。講談社学術文庫版のほうは初版が1986年、訳注者は中村璋八(1926-2015)と石川力山(1948-1997)、こちらは各条に訳書独自の条題を付け、総ルビ付き書き下し文、返り点付き原文、語釈、現代語訳の順の構成となっている。岩波版が390ページ、講談社版が442ページ。岩波版のほうが比較的文言は硬くて語釈も簡潔。講談社版は語釈が柔らかく訳文も使用語彙の転換を含めてより現代的な解釈を取っている。どちらを読んでも興味を惹かれるところにほぼ変わりはないが、講談社版のほうが若干敷居が低いかもしれない。語釈まで読んでみようと思うのは講談社版のほうが確率的には高そうだ。

心不可不虚、虚則義理来居、心不可不実、実則物欲不入

心は虚ならざるべからず。虚ならば則ち義理来たり居る。
心は実ならざるべからず。実ならば則ち物欲は入らず。

菜根譚前集75条、書き下し文は講談社版のもの。

心は空虚でかつ充実していなければならないという教え。心を満たしかつふさがないものとしては無事、無欲、無心などが挙げられるだろうが、岩波版も講談社版もそこまでの限定した解釈は行っていない。両者ともに、一見矛盾するような物言いに関しては、読者自らが考えることを期待しているのだろうと思う。

www.iwanami.co.jp

bookclub.kodansha.co.jp


洪自誠

ja.wikipedia.org

今井宇三郎
1911 - 2005

ja.wikipedia.org

中村璋八
1926 - 2015

ja.wikipedia.org

石川力山
1948 - 1997

ja.wikipedia.org