読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ニコラウス・クザーヌス「テオリアの最高段階について」(1464) 佐藤直子訳

ニコラウス・クザーヌス最後の著作。可能であることについての言説。

実際、可能自体が存在するか否かを問う人は、注意するならただちに問いの不適切さを看取します。可能なしに可能自体について問うことは可能でないのですから。可能自体がこれであるか、あれであるかを問うことは、いっそう可能ではありません。存在することが可能である、またこれであることが可能である、あれであることが可能であるということは可能自体を前提とし、したがって可能自体が生じうるすべての疑問に先行することは明らかだからです。それゆえ、疑問は〔可能〕自体を前提とせざるをえないため、それより確実なものも、より十全なものも考えられないのです。このように〔可能〕自体にはいかなるものも付加されえず、また、そこから何かが分離されたり減ぜられることもありえません。
(第13節より 平凡社『中世末期の神秘思想』p656)

問いの前提に対する考察。切れ味が凄い。

精神の見るものは可知的なものであり、これは可感的なものに先立つ。したがって精神は自己自身を見る。そして、多くの事柄が自らにとって不可能であることから、精神は自らの可能がすべての可能の可能ではないということを見、ここから自らが可能自体ではなく可能自体の似像でることを見る。こうして〔精神は〕自らの可能において可能自体を見、〔自らの可能においては可能自体は〕自らの可能以外の何ものでもないことを見ることから、〔精神は〕自らが可能自体の現れの様相であることを見る。そしてこれと同じことを存在するすべてのものにおいて同様に見る。したがって、精神の見るすべてのものは不可滅的な可能自体のもろもろの現れの様相である。
(第24節より 平凡社『中世末期の神秘思想』p661)

精神についての考察、その限界と様相について。可能自体の似像としての精神というのが沁みる。

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上智大学中世思想研究所 編
小山宙丸 編訳・監修
中世思想原典集成 17
『中世末期の神秘思想』より

ニコラウス・クザーヌス
1401 - 1464
佐藤直子
1960 -