読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

野口米次郎「梅の老木」(『沈黙の血汐』 1922 より )

梅の老木


薄墨色の空を白く染め抜く梅の老木、
私の霊もお前のやうに年老いて居る。
お前の祈禱に導かれて
(お前は単に人を喜ばせる花でない、)
私も高い空に貧しい祈禱を捧げる、
言葉のない喜悦の祈禱を。
お前は形態の美を犠牲にして香気を得た、
花としてお前は、進化の極点に達したものだ……
お前は力の節約から得た充実を完全に表象して居る。
私は昔菅原道真がお前を歎美したやうに、
お前の前に尊敬を捧げる。
百年前のお前も、五百年前のお前も、
乃至は千年前のお前も、
今日のお前とたいした相違がなかつたであらうと思ふと、
如何に徐々と進化がお前の上に働いたかに驚かざるをえない。
私の霊に於いてもお前と同様だ……
私は幾千年間この地上に生きて来たか知れやしない。
お前の風に揺れる白い花弁を見ると、
私の忘れられた追憶の幽霊が
無終の波の表から漣のやうに目覚めるやうに感ずる。
若し私が花であるならば、お前となつてこの庭を飾るであらう、
若しお前が人間であるならば、私となつてこの書斎に坐るであらう。
お前と私は存在の形は異つて居るが、
等しく単純で真実な一表現に過ぎない。
お前が花咲いて一陽来復を語る態度に、
なんたる凛とした大胆さがあるだらう。
もし私になにかの快活があるとしたならば、
年取つた私の霊の幹から白く笑ふ梅花一枝の快活であらう。

 

(『沈黙の血汐』 1922 より )

 

野口米次郎
1875 - 1947
 
野口米次郎の詩 再興活動 No.041