読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

野口米次郎

Yone Noguchi 'SEEN & UNSEEN' と野口米次郎『明界と幽界』 比較資料 (野口米次郎再興活動特別編 001)

二重国籍、二重言語であるがゆえに日本と西洋との橋渡し的存在となり得た日本近代詩黎明期の詩人、二重化の上にそれぞれ残った野口米次郎とYone Noguchi。 同時代的には、インドのタゴールが英語とベンガル語の二重言語を使用し、1913年には『ギタンジャリ(…

堀まどか『野口米次郎と「神秘」なる日本』(和泉書院 2021)

20世紀への転換期にあたる時期、野口米次郎(ヨネ・ノグチ)の詩人・文化人としての前半生と、極東日本の神秘性を期待して無名のノグチを受容していった英米の文化芸術層の様子をコンパクトにまとめあげた興味深い一冊。 世紀末思想、アメリカのフロンティ…

【読了本七冊】東京美術『もっと知りたい  東寺の仏たち』、ノーバート・ウィーナー『サイバネティクス 動物と機械における制御と通信』、佐藤信一『コレクション日本歌人選 43 菅原道真』、草薙正夫『幽玄美の美学』、トーマス・スターンズ・エリオット『エリオット全集2 詩劇』、アンリ・ミショー『閂に向きあって』、中央公論社『日本の詩歌12』より「野口米次郎」

25~30日に読み終わった本は7冊。 まだ新居で落ち着かない感じをゆっくり言葉でふさいでいる。 東京美術『もっと知りたい 東寺の仏たち』 www.tokyo-bijutsu.co.jp 空海の思想は生の肯定の思想で、第一作『三教指帰』からの文字文献においても艶めかし…

野口米次郎「墓銘」(『我が手を見よ』 1922 より )

墓銘 彼の詩は黒色であつた、人が彼に問うた、『なぜ先生は詩を赤や青でお書きにならない。』彼は答へた、『くだらない事を言ふ人だ、赤も青も黒になりたいと悶えてゐる色ぢやないか。』彼の詩は黒色であつた、これに相違はなかつたが、彼には各行が赤にも見…

野口米次郎「想像の魚」(『最後の舞踏』 1922 より )

想像の魚 私の胸に底の知れない谷が流れ、その上に弓なりの橋が懸る。橋の袂で私の魂の腐つたやうな蓆を敷き、しよんぼりと坐つて、通行人を見かけては、糸の切れた胡弓を鳴らしてゐる。『穢しい乞食だな』とある人は叫び、またある人は無言の一瞥さへ与へず…

野口米次郎「空虚」(『山上に立つ』 1923 より )

空虚 私の心が大きな空虚になる、水がなみなみと満ち、綺麗な魚が沢山居つて、今朝水中に落ちた星の玉を争ふ。すずしい風がそよそよ吹く、漣が波紋を作る、(ああ、私の心の空虚の池!)何処かにゐる私の霊はくすぐつたく感ずる。『動いてはいけない、水よ、…

野口米次郎「白紙一枚」(『沈黙の血汐』 1922 より )

白紙一枚私の言葉の詩は一種の弁疏(べんそ)たるに過ぎません、私のもつと大きな詩は人生の上に書かれました、否な、人生の上から消されました………今日一行、明日二行といふ工合に。私が人生の上に書いた大きな詩は今では殆ど白紙一枚であります。私の今日で…

野口米次郎「釣鐘」(『沈黙の血汐』 1922 より )

釣鐘 私は釣鐘、空虚の心、………冷く寂しく、桷(たるき)からぶらさがつて、撞木(しゆもく)で敲(たた)かれるのを待つて居る。私はこれ感応の心、生れて以来幾十年間、生命の桷からぶらさがつて、独り無言で、人の圧力を待つて居る。ああ、空虚な私の心、…

野口米次郎「梅の老木」(『沈黙の血汐』 1922 より )

梅の老木 薄墨色の空を白く染め抜く梅の老木、私の霊もお前のやうに年老いて居る。お前の祈禱に導かれて(お前は単に人を喜ばせる花でない、)私も高い空に貧しい祈禱を捧げる、言葉のない喜悦の祈禱を。お前は形態の美を犠牲にして香気を得た、花としてお前…

野口米次郎「沈黙の血汐序詩」(『沈黙の血汐』 1922 より )

沈黙の血汐序詩 右には広々した灰色の沙漠、左には錐のやうに尖つた雪の峰、風はその間を無遠慮に吹きすさんで、木の葉を落とした樹木の指先から沈黙の赤い血が滴る……君はかういふ場所を想像したことがありますか。私は今この沙漠と雪の山との中間に居ります…

野口米次郎「空しい歌の石」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

空しい歌の石 雨が降ると私の夢はのぼる………六月の雲のやうに、歌が、私の耳もとに湧きたつ、風より軽い足拍子が、或は高く、或は低く、波うち、私の眼は夢で燃える。『私は何者だ?』『奈落の底の幽霊だ、夜暗の上に空しい歌の石を積みあげ、焔のやうに踊り…

野口米次郎「雀」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

雀 一幽霊、沈黙と影のなかから再び踊り出たもの、前世の色彩と追憶をあさる猟人、彼は同じ夢と人情を、ここに再び見出すことが出来るだらうか。彼は生きる力の把持者、彼は各瞬間に献身せるもの、彼の一瞬間は人間の十年にも比較されるであらう………各瞬間は…

野口米次郎「蓮花崇拝」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

蓮花崇拝 礼拝者は、谷からも山からも忍び寄る、この心は着物と共に、白い。彼等は今聖き池のまはりに坐る、池はこれ蓮花の聖殿………暗明の水を貫く無音の蕾は、恰も合掌の女僧のやうだ。恰も合唱の女僧のやうに、礼拝者は合掌する祈願する、沈黙の祈禱は言葉…

野口米次郎「狂想」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

狂想 麦稈(むぎわら)一把と、女の髪と、土塊(つちくれ)で、私の家は作られる………さうだ。世界はいらない、………ほしいものは真実の詩一つだ。左の窓から、蜘蛛は飛びこみ、目には見えない一群の、高慢稚気な踊り子が、右の窓から踊りこむ、まるで潮だ。いや…

野口米次郎「芸術」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

芸術 そもそも芸術は、蜘蛛の巣のやうに、香の空中にかかる、柔かで生き生きと、音楽にゆれる。(人生に浸潤する芸術は悲しい。)その音楽は瞬間の緊張に死ぬる、生きる、暗示がその生命だ。芸術に美と夢の探求はない、(なぜといふに、)芸術は美と夢そのも…

野口米次郎「影の放浪者」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

影の放浪者 眼には見えねど神の御手に招かれて、そよ吹く銀の風の如く、聖き空をめぐる。胸に秘むる一曲の歌………我等は祈禱の童僕(わらべ)だ。 我等の歌は、亡びし都城の跡を知らず、王国の哄笑も我等の足を止めない、我等の心は遠く、太陽、風雨を友として…

野口米次郎「歌麿の線画美人」( The Pilgrimage 1909『巡礼』 より )

歌麿の線画美人 それを線の美だといふのは余りに平凡、だが線は古くて、霊化して香気となつて、(この香気こそ生死を翺翔して永久にはいつた霊だ、)夢の手細工、糸遊(かげろふ)のやうに、自由に浮動している………歌麿の美人は流れる微風の美しさであらう。…

野口米次郎「沈黙の揺籃」(『夏雲』1906 より)

沈黙の揺籃 沈黙の揺籃から私の愛する詩人の歌が聞える、平和と記憶の無言の歌、年を知らない影の歌、永劫の霧の歌が聞える。私の愛する詩人の新しい無言の音律、春の夕の甘やかな無終の歌、睡眠の国を照らす月のやうな愛と涙の歌を私は聞く。 沈黙の揺籃か…

野口米次郎「夜」(『夏雲』1906 より)

夜 夜の睡! 夢の世界! 動揺の魂よ眠れ、汝の愛も富もさては汝の魂も体もすべてのものを神様に返して仕舞へ。ああ睡眠! 何たる夜と影の歌よ。 女性の星よ、今日は歌ひ給ふな。私は無となつて、君のやうに輝く私の恋愛を忘れたい。ああ世界よ眠れ、天国も地…

野口米次郎「風の一片」(『夏雲』1906 より)

風の一片 若しも私が青海から吹く風の一片であるならば、私は南方の平野に咲く罌子粟(ポピー)のなかに恋愛を捜すであらう、東方の山に輝く太陽に殺された白露の涙を数へるであらう。 若し私が青海から吹く風の一片であるならば、私は沈黙と灰色、さては胸…

野口米次郎「一羽の鳥」(『夏雲』1906 より)

一羽の鳥 灰色の森を飛ぶ灰色な一羽の鳥を私は聞く………真実の鳥でない、幻の鳥であらう。おお寂しい鳥よ。お前は以前のやうに死と暗黒を友としてゐるか、私は悲哀の柱によりかかる一詩人だ。私は香を焚き時には祈禱する。私は沈黙の空気をゆり動かすことをど…

野口米次郎「小さい歌」(『夏雲』1906 より)

小さい歌 今日幸福な小さい歌が風と共に過ぎゆく。私何処へでもそれを追ふであらう。恰(あたか)も木の葉の小さい声の如く、笑ひながら歌ひながら、幸福な小さい歌は過ぎゆく。 今日幸福な小さい歌はぱつたり止んだ………白い露は星のしたで落ちる。幸福な小さ…

野口米次郎「風」(『夏雲』1906 より)

風 私は風が秋草の陰で溜息するのを聞く、私は風が干潮の間に死を溜息するのを聞く………秋草の陰で死んだ風は永遠に眠る。潮は退(ひ)く………私の疲れた空想も退きゆく。 私は私の影を秋草の陰と干潮の間に見るであらう、溜息し溜息する私の一つの影を見るであ…

『歌麿』 (とんぼの本, 1991)

摺りの技術がよく紹介されているような印象を持った。 (雲母摺は)宝暦十二年(1762)、勝間龍水が、部分的にではあるが『海の幸』に用いたのが最初。その後二十数年を経た寛政元年(1789)、歌麿が初めて雲母摺を大首絵の地塗りに登用した。以来、この技術…

野口米次郎「薄明」(『夏雲』1906 より)

薄明 私は薄明の行方を見届けんとその後を追ふ………薄明は日中の光明のなかへ消える。私は再び薄明の行方を見届けんとその後を追ふ………薄明は夜の暗黒のなかへ消えうせる、おお薄明よ、私に語れ光明と暗黒とは同じものであるか。 私は歓喜から泣いたそれは昨日…

野口米次郎「静かな河を越え」(『夏雲』1906 より)

静かな河を越え 静かな河を越え静かな小山の彼方に私の母は影を抱いて住んでゐる。なぜあんなに小山と河は静かであらうか、私は母に遇ひたい………ただ風が私を呼ぶのを待つてゐる。 誰が私の母が寂しい影を抱いてゐる姿を見たであらうか、誰が彼女の香ばしい呼…

野口米次郎「想像の海」(『夏雲』1906 より)

想像の海 私は自然と甘い倦怠のうちに一になる。私の魂は徐(おもむろ)に眠へと消えてゆく。ああ、これは地上か或は天国か。夏の香気は自然を甘くし眠らせる、樹木と鳥は微風に耳語する。 私はいふ、『私は盲目(めくら)で聾(つんぼ)で啞(おし)であり…

野口米次郎「悲哀の詩」(『夏雲』1906 より)

悲哀の詩 『悲哀の詩が私の最初でしかも最後のものだ』と私は詩を作る時いつもいふ。夕日は悲しみの矢を投げて私の魂を傷ける。 失望と暗黒が急に世界を満たさうとする。私は悲しい思想を忘れようとして泣。恰も暴(あ)らあらしい海上を凝視する男のやうに…

野口米次郎「一言」(『夏雲』1906 より)

一言 沈黙の歌をうたふ広漠の歌ひ手よ、星よ、君に捧げる言葉あり、 曰く、『人間は冷かだ、朝になると君の聖(きよ)き姿を忘れて仕舞ふ、君失望する勿れ失望する勿れ。』 (『夏雲』1906 より) 野口米次郎1875 - 1947 野口米次郎の詩 再興活動 No.023

野口米次郎「林檎一つ落つ」(『夏雲』1906 より)

林檎一つ落つ 『今は高潮の時だ、何か起るであらう』と私は耳語する………あらゆる声は十分に漲(みなぎ)りきつた正午の胸のなかへ消え、太陽は懶(ものう)く、大地は黄金の空気で包まれ、蝶蝶は飛び去つた。樹木は自分の影をその袖のなかへ畳み込んで仕舞つ…