読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルティン・ハイデッガー『思惟の経験より』(原書 1947, 1954 理想社ハイデッガー選集6 辻村公一 訳 1960)パウル・ツェランに贈った詩的テクスト

アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮だ」というアドルノの言葉が広まっているにもかかわらず、プリーモ・レーヴィパウル・ツェランを読んでしまったあとでは、むしろ、「アウシュビッツ以後、詩を書かないですんでいることは野蛮だ」もしくは「詩を書くこと以外は野蛮だ」と宣言したほうが正しいのではないかという思いに駆られる。無論、どんな詩を書くかということは、大きな問題なのだが、ハイデッガー『思惟の経験より』の訳者である辻村公一の言葉を借りるなら

「思惟する詩作」、つまり「歌う」という仕方での「詩作」から区別された「思惟する」という仕方での「詩作」

 それ以外のあらゆる行為は野蛮だということになろうかと思う。「思索としての詩作」あるいは「詩作としての思索」というハイデッガーのテーゼの外にある行為。単なる計算で済んでしまうような行為は野蛮だ。野蛮といわれても仕方がない。考えずに済ますのは野蛮だというふうに言われれば、そうかもしれないと私などは思ってしまう。
マルティン・ハイデッガーは哲学詩ともいえるような作品『思惟の経験より』を書いた。それは、ハイデッガーの内面が要請した確かな思索に基づいた詩的作品なのであろが、立場の異なるパウル・ツェランに、出会いの記念に贈るような作品であるかどうかということになると、かなり疑問は残る。片や内部批判を受けて疎外されることにはなるもののドイツ民族の立場からナチス政権に加担した経歴のあるハイデッガーと、両親を強制収容所でうしない、自身も強制労働施設に送られた経験を持つパウル・ツェランでは、立場が大きく異なる。運命に導かれて出会わざるを得ない二人であったにせよ、傷、ことさらパウル・ツェランの側の傷をを深めるだけの遭遇に終ってしまった観があり、大変痛ましい。『思惟の経験より』にはヘルダーリンの次のような詩句の引用も含まれている。

隣り合った雙樹、彼等は立てる限り、相知ることなし。

 敢えてハイデッガー側からツェランに贈るべき言葉だったかどうか、そのまえにハイデッガー自身の口から直接に、詫びなり弁明の言葉なりがツェランに伝えられたら、事はも少し穏やかなものになったかもしれないのに、結果としてはツェランがより大きくまた深く傷つくことで二人の関係は終わってしまった。

 

道(みち)と衡(はかり)
彴(はし)と言(ことば)
それらは一つの行路(あゆみ)の内へと合はされて行く。

行(ゆ)きて 負(お)へ
禍(とが)と問(とひ)を
汝の一筋の徑(こみち)に沿つて長く。

 

「行きて 負へ / 禍と問を」と述べるハイデッガー、それを被害者ともいえるツェランに(無邪気に? 能天気に?)贈ってしまうハイデッガー。思索そのものは目を見張るものであるかもしれないが、人間的にはいかがなものかというふるまいが、伝記的なところを追っていると多々出てくるのも事実だ。


マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
パウル・ツェラン
1920 -1970
プリーモ・レーヴィ
1919 - 1987
テオドール・アドルノ
1903 - 1969
辻村公一
1922 - 2010