読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ウンベルト・エーコ 編著『醜の歴史』(原書 2007, 川野美也子訳 東洋書林 2009)醜は美よりも多様で複雑で個性的で且つ身近な現実

言葉にするとはしたないことになってしまうけれども、興奮状態でいたいというのは近代生活においては基本的な性向となっているに違いない。倦怠でさえ興奮の対象としてボードレールを一つの頂点としてさまざまな詩人たちによって悪魔的に描出されている。

醜は一種の「美的犯罪者」となり、それに対してシュレーゲルは一種の「犯罪法」の作成を提起したのだが、レモ・ボディが指摘したように、このような不信はフランス革命によって刻印された世紀の精神を彼が支持していること、新たに可能な秩序の「カオス再生装置」という観念に魅力を感じていることをもさらけ出している。彼の意図は意図として、シュレーゲルがわれわれに思い出させるのは、関心と特性が(われわれをたえず興奮状態に置くために、そして「現実の計り知れない豊かさをその無秩序の頂点において」表現するために)不規則と歪みを必要とすることだ。さもなければ、自然において起きるように美と醜を融合することができた芸術家であるシェイクスピアが、「近代詩の頂点」がどうして賞賛されるのか理解されないだろう。彼の作品では、個々の美は決して「不純なくず」を免れることなく、また、彼の戯曲も、登場人物もこれらのくずが豊かなのだ。
(第10章 ロマン主義による醜の解放 1「醜の哲学」 p278-279 )

毒にも薬もならない作品よりも、毒にも薬にもなりうる作品につい手が延びる。

※本書、トラウマになりそうな図版もあるので少し注意が必要。とりわけ第8章「魔女信仰、悪魔崇拝サディズム」の2「悪魔崇拝サディズム、残酷趣味」のp232-p239のスチール写真はまずは遠目で確認したほうが良い。

 

【付箋箇所】
49, 89, 113, 125, 135, 140, 165, 232, 312, 320, 354, 365, 368, 369, 370, 378, 386, 391, 411, 421, 436

目次:
序論
第1章 古典の世界
第2章 受難、死、殉教
第3章 黙示録、地獄、悪魔
第4章 モンスター(怪物)とポルテント(予兆)
第5章 醜悪なもの、滑稽なもの、猥褻なもの
第6章 古代からバロック時代までの女性の醜さ
第7章 近代世界の悪魔
第8章 魔女信仰、悪魔崇拝サディズム
第9章 フィジカ・クリオーサ(肉体への好奇心)
第10章 ロマン主義による醜の解放
第11章 不気味なもの
第12章 鉄の塔と象牙の塔
第13章 アヴァンギャルドと醜の勝利
第14章 他者の魂、キッチュ、キャンプ
第15章 現代の醜

 

東洋書林 ウンベルト・エーコ『醜の歴史』 

 

ウンベルト・エーコ
1932 - 2016