思惟するものとしての私と対象としての物との「間」というのがハイデッガーのほかの著作でいうところの「存在」であるというような印象が残った。
カントは、彼の著作の終わりの部分(A737, B765)で純粋悟性の原則について次のように述べている。《純粋悟性の原則は、その証明根拠、すなわち経験をまず自ら可能ならしめ、かつこの経験において常に前提されなければならない、という特質を有している》。原則とは、その証明根拠を基礎づけ、かつこの基礎づけを証明根拠へと置き換えるような命題である。別言すれば、諸原則が据えるところの根拠、すなわち経験の本質とは、われわれがそれに立ち帰り、かつそのあとでわれわれが単純にその上に立っている現前している物ではない。経験とは、それ自身において円環している一つの生起であり、その生起を通して円環の内部に横たわっているものが開示される。しかしこの開示されたものは間――われわれと物との間――にほかならない。
(B 物の問い方のカントの様式 Ⅱ カントの主著における物の問い p309 )
ハイデッガーの永遠回帰説のような部分。回帰するのは、「われわれと物との間」、すなわち「存在」。回帰の舞台は、「純粋悟性」すなわち「思惟」。
上掲の『形而上学入門』での図式に物は入っていないけれど、思考の対象として両向きの縦矢印の存在上方あたりにある感じで、両向きの縦矢印がハイデッガー的永遠回帰。
目次:
A 物の問い方の種々の様式
B 物の問い方のカントの様式
Ⅰ カントの『純粋理性批判』が基づいている歴史的地盤
Ⅱ カントの主著における物の問い
【付箋箇所】
12, 53, 60, 62, 66, 71, 154,180, 209, 222, 230, 231, 238, 245, 247, 270, 293, 305, 309, 326310, 322
マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
イマヌエル・カント
1724 - 1804
近藤功
1929 -
木場深定
1907 - 1999