読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジャック・ラカン『アンコール』セミネール第ⅩⅩ巻(セミネール 1972-1973, 原書 1975, 講談社選書メチエ 2019)

ラカンの後期セミネールの翻訳。70歳を越えてのみずみずしい教え。尽きることのない攻める姿勢、探究と魂鎮めの張り詰めた空間、緊張感ある分析空間から、世界の淵に足をかけながら激しく演じられている精神の劇的様相をあらわにしてくれている。

本書のいちばんの論点は、定冠詞のついた全称的な女と真理は存在せず半-語り<mi-dire>することしかできないというところにありそうなのだが、個人的には語る身体の神秘と孤独というところに強く惹きつけられた。

現実的なものとは、いわば、話す身体の神秘のこと、無意識の神秘のことです。
(Ⅹ「ひもの輪」p236 )

 

わたし[je]とは存在ではなく、話している何かに想定されたものです。話している何かは、次のような点において、孤独としか関わりをもちません。すなわち、私が示したように、書かれ得ない、と語ることによってしかわたしが定義し得ない関係という点においてです。この孤独は、知の破綻による孤独であり、この孤独は書かれ得るだけでなく、すぐれて書かれるものですらあります。というのも、この孤独は、存在のひとつの破綻によって痕跡を残すものだからです。
(Ⅹ「ひもの輪」p216 )

 

ラカンのことばは、先行セミネールを前提としていたり、凝縮された独自の用語を使用しているため、咀嚼しづらくはあるのだが、その読みづらさを超えて強い刺激を与えてくれる魅力がある。また、ゼミ形式で語られていることばなので、ときにエスプリのきいた表現がはいっているのも魅力だ。

このインコはデカルトのようでした。
(Ⅰ「享楽について」 p14 )

まあ、ラカンは一筋縄ではいかないひとなのだ。じっくり付き合うべき人なのだろう。

bookclub.kodansha.co.jp

【付箋箇所】
14, 50, 94, 104, 126, 130, 131, 132, 142, 158, 163, 168, 173, 175, 181, 185, 187, 193, 197, 198, 207, 210, 216, 226, 236, 247, 249, 255


目次:
Ⅰ 享楽について
Ⅱ ヤコブソンに
Ⅲ 書かれたものの機能
Ⅳ 愛とシニフィアン
Ⅴ アリストテレスフロイト:他〔者〕の満足
Ⅵ 神と斜線を引かれた女の享楽
Ⅶ 愛〔魂〕のひとつの手紙〔文字〕
Ⅷ 知と真理
Ⅸ バロックについて
Ⅹ ひもの輪
Ⅺ 迷路のなかのネズミ


ジャック・ラカン
1901 - 1981
藤田博史
1955 -
片山文保
1951 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com