読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジャック・デリダ『最後のユダヤ人』(原講演 1998, 2000, 原書 2014, 渡名喜庸哲訳 未来社 2016)

フランス領アルジェリア出身のユダヤ系フランス人という自らの出自に正面から向き合い語られた講演二本。

主に学校という公共空間をとおして、ユダヤ人という符牒のもとに疎外されることに恐怖のようなものを感じ、且つ、疎外されたものたち同士が保身のためにグループ化することにショックを受け、どちらにも与するべきではないという感覚とともに深く刻印されたユダヤ人たるがゆえの体験。一生を左右するトラウマとして生きつづけた幼少期の体験と、その後もユダヤ人たることを意識しつづけるよう強いられた世界のあり様を、サルトルの論考をなどを引きながら綿密に考察していく、緊張感あふれる講演である。

デリダの読みやすいとは到底言えない脱構築的読み返しの作業は、基本的には、ユダヤ人として、「余所者」として、線引きされ範例化され一定領域に固着化される一般的傾向に抗うための、必然性を持ったスタイルなのだということが、本書収録の二本の講演録から伝わってくる。

デリダの叙述スタイルも、扱われるテーマ、思索の対象も、個人で選択可能な範囲にある趣味というよりも、強いられたもの、必然的なものだということが、聴き手側(著作にあっては読み手側)に詰められてくるような言説になっていて、デリダの仕事はすべて繋がっている、一貫しているということを感じさせる、晩年の重みある仕事なのではないかと感じた。

研究者でもないものが、訳書をとおしてデリダの膨大な作品を読むというのは、かなりハードルが高くて、しかも世間的意味も見いだしづらい時間の過ごし方に終わってしまう可能性がとても大きくあるのだが、デリダの仕事の必然性というものに共感し賛同することができれば、まあ無駄でもいいかという思いにもさせてくれる。

なにものかに拒まれたなかにあっても、なお共生の可能性は開かれていて、完全に閉じられるような完璧さは、すくなくとも人間の技としては成立したことがないという、読み解きの実践と啓蒙としてのデリダの著作。フランス語が読めなくても、日本語訳書としてあらたに刊行してくれる訳者と出版社があるということには感謝しなければならない。

総体が形成されたり閉鎖されたりしないところにしか「共に生きる」はないと認めること、共に(副詞)生きることが「総体」(名詞、実詞)の、つまり実体的で、閉鎖され、自己同一的な総体の完全性、閉鎖ないし凝縮に異議を唱えるところにしか「共に生きる」はないと認めること。約束や記憶、メシア的なものや喪の作業なき喪や治癒なき喪の名のもとで、自分よりも大きく、自分よりも古いと同時に新しいような他者との、もしかすると到来する、あるいはこれから到来する、さらにはもしかするとすでに到来している他者との、非対称性、アナクロニー、非-相互性を受けいれるところにしか「共に生きる」はないと認めること。――そう認めるところにこそ、掟を超えた掟の正義があるのであり、・・・(以下略)
(「告白する―不可能なものを」p36-37 太字は実際は傍点)


我が生きる、我々がまず生きる、ではなく、我も汝も「共に生きる」が成立しないと、隠蔽された歪みによって、たがいの頸の絞めあいになるということを、デリダはつねに語っていたのではないかとふと思う。打算もあろうが開かれ不安定なその時々の絆の関係性が固定されてしまえば、絆ではない絆しの拘束が、結び直しを許さない人間(我)と人間(我)以外のものの階層性が秘かにしかも公然と作られる。目に見えない領域で目に見せないようにするとともに、見えるところでも感覚と思考の麻痺が、夾雑物を許さず認めない異様な潔癖症が幅を利かすようになる。

それは息苦しいし、感染という名称も持つ交流の一切ない密閉空間などありはしないと、デリダが言挙げした脱構築の作業は執拗に語り、残りつづけている。外気との風の交換の悪くなった言説空間に対しては、風向きを変える風穴を開ける隙を探る変位実践のロジックを活性化するような仕組みを潜ませて、何時起動してもよいような全方向走査に待機している。

面倒といえば面倒このうえない作業ではあるが、それがなくなってしまえば、世界は収縮し固定化して、安全弁となる余白、グレーゾーン、価値判断に馴染まぬ辺境がなくなってしまう。譬えていうなら、私がダンテの『神曲』いちばん好きな辺獄=リンボがなくなってしまう。リンボは無辺で、地獄・煉獄・天国の領域にも引けを取らない広大さと豊饒さのある空間であると思っている。私が死んだら会ってみたい人はおおよそここにいるはずで、たとえばカール・マルクスが死後何を研究しつづけているのかというのも、リンボをおいてほかでは確かめられないことだと思っている。

 

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【付箋箇所】
36, 59, 81, 93, 114, 123, 140

目次:
緒言(ジャン=リュック・ナンシー
告白する―不可能なものを 「回帰」、改悛および和解
アブラハム、他者

 

ジャック・デリダ
1930 - 2004
渡名喜庸哲
1980 -

 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com