読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アラン・コルバン『静寂と沈黙の歴史 ルネサンスから現代まで』(原著 2016, 藤原書店 小倉孝誠+中川真知子訳 2018 )

「感性の歴史家」ともいわれているアラン・コルバン、題名と本のたたずまいに魅かれて試し読み。『草のみずみずしさ 感情と自然の文化史』と迷ったが、どちらかといえばメジャーな分野を対象にしたものからという判断で、こちらから参入してみる。

 

内容的にはフランスの詩人や作家、宗教家、画家、映像作家たる映画監督からのたくさんの引用をちりばめた、沈黙についての思索見本帳のような一冊。引用の織物ともいうような、きらびやかだが流れるような無理のない展開で、しっとり読ませる。ビクトル・ユゴーやローデンバックをはじめとしてえ、名はとりあえず通っているものの、日本語訳の書籍があまり見当たらない創作家の作品が部分的にではあれ新訳でよめるのがうれしい(特にユゴーやローデンバック)。最後におかれているのが、ルコント・ド・リール(1918-11894)の『夷狄詩集』( Poèmes barbares)の「世を破壊せん (Solvet seclum)」であるのも、個人的には興奮する。音楽領域での歌曲の原詩として訳出されていることは比較的多いものの、高踏派詩人としての言語優位の業績は、なかなか日本語では接することのできていないルコント・ド・リール。私が知るかぎりでは、『海調音』訳者の上田敏訳と、井上究一郎訳、安藤元雄訳の三者による両手に満たないわずか数篇の詩篇の訳詩しかしらない。それら詩篇に接しながら、人類が関わらざるをえなかった「静寂と沈黙」(フランス語ではSILENCEの一語)に寄り添おうとする本書は、あわただしく過ぎゆく日々のなかで、立ち止まるスポットを提供する反時代的な試みの書であると思う。

 

本書の副題としては「ルネサンスから現代まで」とあるのだが、実際の射程はもっと深く、ルネサンス以前の狩猟採集活動期の社会的行動統制規範の存在の指摘にも及ぶ。

 

「軍隊内部では、身振りによる合図の習得がおこなわれているし、これは狩猟を実践するときには、なおのことふさわしい」といって、インディアンの狩猟形態を取り上げる著者の論述にはためらいがない。立ち止まって沈思黙考するのを良しとする場面と、ためらわずに行動すべき場面との両域が存在することの確認がなされている。どちらか一方では収まらない現実社会の縮図を提供しているところにも本書の価値があるとも思える。

 

個人の趣味判断を超えて、長く考えさせる機縁を提供しているところが優秀と思える一冊。

 

www.fujiwara-shoten-store.jp

【付箋箇所】
10, 12, 29, 30, 34, 40, 42, 67, 77, 85, 86, 88, 92, 106, 134, 140, 143, 181

目次:

前奏曲
 静寂の変容
 静寂の歴史をたどる方法とその意義

第1章―場所がそなえる静寂と安らぎ
第2章―自然の静寂
第3章―沈黙の探求
第4章―沈黙の学習と規律
第5章―間奏曲――ヨセフとナザレあるいは絶対の沈黙
第6章―沈黙の言葉
第7章―沈黙という戦略
第8章―愛の沈黙から憎悪の沈黙へ
第9章―後奏曲――沈黙の悲惨

参考: