読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

小池澄夫+瀬口昌久「ルクレティウス 『事物の本性について』――愉しや、嵐の海に (書物誕生 あたらしい古典入門)」(岩波書店 2020)

多作の思想家であったというエピクロスの作品が散逸してしまってほとんど残っていないのに対し、エピクロスの思想を展開したルクレティウスの『事物の本性について』全六巻が残ってきたのはなぜなのか?

キリスト教の教義から見ればともに異端として退けられるべき唯物的宇宙論の思想ではあるが、散文で書かれたエピクロスの作品に対して、ルクレティウスの『事物の本性について』がラテン語で書かれた優れた詩であったことが、キリスト教教会内の知識人層にも価値を認めさせ、細いながら生き延びる道を切り拓きつづけた理由であることが、本書冒頭のルクレティウスの詩句の解説とその受容の歴史的様相を概観するところから、一貫して説きつづけられている。『君主論』のマキャベリなど、全篇を書き写していたというのだから、ルクレティウスの作品の詩としての卓越した技巧がうかがわれるというものだ。

本書の導入として取り上げられているのは第二巻の冒頭の四行。小池澄夫訳。

愉しきかな、大海に、冬波さかまく嵐のさなか
余人の大いなる惨苦を陸地から眺めるのは。
誰か人が苦しんでいるから心嬉しいのではない
おのれの免れた災厄をつぶさに知ることが愉しいのだ。

散文として訳されている樋口勝彦訳岩波文庫版では、以下となる。

大海で風が波を掻き立てている時、陸の上から他人の苦労をながめているのは面白い。他人が困っているのが面白い楽しみだと云うわけではなく、自分はこのような不幸に遭っているのではないと自覚することが楽しいからである。

散文訳でも伝えようとする内容が大きく逸れることはないが、たとえそれが韻文叙事詩の形式には適さない現代日本語であっても、韻文を意識した訳であると、雰囲気はだいぶ違ったものになる。『事物の本性について』には、ほかに全訳として藤沢令夫・岩田義一共訳の筑摩書房世界古典文学全集版があるらしいが、こちらは未見。藤沢令夫のルクレティウスに関する論文への参照も本書では目立っていることもあり、比較のために、いずれ読んでみたい。

 

www.iwanami.co.jp

【付箋箇所】
4, 9, 11, 43, 46, 50, 60, 78, 82, 86, 93, 95, 109, 113, 119, 122, 123, 126, 133, 143, 152, 173, 178, 189, 211, 212, 223, 232, 234, 248, 251, 260

目次:

プロローグ
第Ⅰ部 書物の旅路 キリスト教世界を生き延びた原子論
 第一章 修辞的カノン
 第二章 ヴィクトリア朝桂冠詩人
 第三章 写本の発見と復活劇
第Ⅱ部 作品世界を読む 原子と空虚が生み出す世界
 第一章 物質と空間
 第二章 原子の運動と形
 第三章 生命と精神
 第四章 感覚と恋愛
 第五章 世界と社会
 第六章 気象と地質
エピローグ

ルクレティウス
BC99頃 - BC55
小池澄夫
1949 -2011
瀬口昌久
1959 - 
    

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com