読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

I.A.リチャーズ『実践批評 英語教育と文学的判断力の研究』(原著 1929, 坂本公延編訳 みすず書房 2008)

リチャーズがケンブリッジ大学の学生に対し、作者名とタイトルを伏せた13編の詩を配布し、それぞれにレポートを書くことを求めた実験に基づいていて編纂された、詩の鑑賞から見た批評の諸問題に関する研究分析の書。詩への既得反応、先入観、韻律への鈍感さ、集中力の欠如など、集められたレポートをもとに批評する側の独善的態度が列挙される。日本語版はレポート部分がだいぶ整理され分量も圧縮され読みやすいものとなっているが、原書のほうでは整理されているとはいえ膨大な量の半可通の鑑賞文が収録されているという。要約された日本語版のレポートサンプルを読むだけでも、自分自身が同じような過ちをしているに違いないと恥ずかしくなるのに、よりそのものに近いレポートの数々を読まなければならない原書では使命感でも持たない限り苦痛で読み通すことはできないだろうと思う。

詩から離れすぎたり、詩の内容にあまりにも無頓着で、勝手気ままに自分の思考と感情を遊ばすのは、方法論として、細部の揚げ足とりと同様に誤りだ。読書の秘訣は全体の評価から始めて細部に及ぶのだが、この逆をやると、つねに早まった、たいてい悲惨な結果となる。

悲惨な結果に陥らないためには、対象の作品をしっかり時間をかけて繰り返し読むことが何より大切だという。あわてて印象を語らず、さまざまな読み身を開き、良き選択に自らを導くことが必要なようである。まず、それだけ時間をかけてもよいと思える作品に出合えるかどうかが第一の問題ではあるが、ひとつの作品やひとりの作家を深く研究することが、良き鑑賞を生み出す最善の道であろうことは感じ取れた。

なお、本書で鑑賞の対象となった詩はジョン・ダンの現代語訳から実験が行われた当時のあまり有名でない作者の詩で、訳書にあっても原文が収録されている。これは英詩の音韻に関する鑑賞部分に対応するためであり、英詩の魅力を左右する大きな部分であるのであろうが、原語で母国語の人々なみに詩を鑑賞できる能力を持つ人でないと、学生たちの反応すらよくわからないところである。日本語の詩と最も違う部分でもあるだろう。日本語の詩の場合のリズムや韻律については、海外の詩を参考にしながら独自に検討していくべきものであるとも、あらためて感じた。

 

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【目次】
まえがき(著者による)

第1部 レポート集
第2部 分析
付録
あとがき(編訳者による)

【付箋箇所】
14, 16, 18, 41, 43, 54, 69, s70, 81, 98, 121, 124, 132, 139, 144, 145, 149, 151, 153, 164, 180, 187, 

I.A.リチャーズ(アイヴァー・アームストロング・リチャーズ)
1893 - 1979
坂本公延
1931 -