E.E.カミングス(英語)とエリック・サティ(フランス語)の翻訳者というところからも一般常識にはおさまりがたそうな構えを見せている藤富保男の本職、日本の現代詩人としての姿をすこし追ってみた。
1.『現代詩文庫57 藤富保男詩集』(思潮社 1973)
ナンセンスはセンスの脇をなるべくぶつからないように配慮しながら自分も傷つかないようすみやかに通り過ぎる。
散文エッセイは説明的になりすぎて粘着性がどうしても目立ってくるので、無防備でぶっきらぼうな詩のほうに藤富保男らしさがより生きた形で刻印されている。詩的冗談を自分自身で説明して理解を求めるように強いられているかのような散文は、ちょっと痛々しい。詩作自体に反応して、もぞもぞうずうずしているところを詩人と共有するのが、ただしい享受の仕方なのではないかと思う。
六時に女に会う
女と会う
一人の女に
一人の六時に
一人で六時のところに立って六時だけが立って
誰もいない(「六」全)
本書には『正確な曖昧』(1961)『魔法の家』(1964)『今は空』(1972)の三作が完全収録されるとともに、デビューから1973年の近作までが選出収録されている。作品傾向としては、時代が下るにしたがって饒舌の度合いが増してきているように思える。ナンセンスに傾くと人は饒舌になってくるのだろうか。同一テーマを繰り返し取り上げる小笠原鳥類的な詩作とは異なるナンセンス系の先行詩人。加藤郁乎が絶賛に近い推薦文を書いている。
2.『一体全体』(花神社 1985)
自作ドローイングに添えるように書かれた詩篇と素人っぽい線画とがカップリングされた詩画集的な一冊。
たとえば、「考えても無駄ということを考えている子供」の線画と、そこにカップリングされた「犬小舎」という散文詩を、考えるでもなく覗いていると、明日だけではなく現在の確かさも危うくなり、呆然となるが、だからといって何かが急激に変わるわけでもなく、書き終えられたちょっとした言語空間がとぼけた感じで残りつづけている。限定650部、本体価格2500円。
3.『客と規約』(書肆山田 1999)
70歳での実験詩。
「時過ぎれば 生きているもの/おのずと化身するは神の摂理なり」と詩人自身も書きつけているように、言葉とともに生きている詩人が、はじまりの時に供物として用意した詩篇を、自身が掲げた変容の規約の下に変形し、神の摂理を演じ、ひとつのサイクルを描いてみせた詩篇。自腹で買ってみたいかどうか問い詰められるとちょっと困る。本体価格2000円。
【内容】
規約に沿って読み返してみると、なるほどと思いはするが、なるほどで終わってしまう。たぶん重く考えてはいけない。日本語ならではの実験に軽く賛同することを求められている。
藤富保男
1928 - 2017