読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アレクサンドル・ブローク『ブローク詩集』(小平武訳 彌生書房 1979)

アレクサンドル・ブロークはロシア・シンボリズムを代表する詩人。理想的美と現実生活における腐敗堕落のはざまを詩とともに生きた自己劇化傾向の強い人物であると思う。
本書『ブローク詩集』は三つの部分に分けられた抒情詩と革命下のボルシェヴィキ軍を詠った長編叙事詩「十二」の詩篇群と、作品ごとに付けられた訳者小平武による解説からなる。
抒情詩は、Ⅰ(1898-1904)、Ⅱ(1904-1908)、Ⅲ(1908-1914)の三期に分けられ、それぞれ、のちに夫人となるリュボーフィ・メンデレーエヴァとの出会いから結婚にいたる時期、ブロークの生殖恐怖と禁欲主義が禍して夫婦関係が冷えていくとともに親友のアンドレイ・ベールイと妻の浮気が発覚し、次第に酒にたよるようになっていった時期、ベールイの子を妊娠した妻を受け入れ自分の子供として育てることで生活を立てなおそうとしていたところ生後8日でその子は死んでしまい、いっそう暗い気分に落ち込み荒んだ精神で抒情詩から徐々に離れていく時期というふうに特徴づけられる。良くも悪くも独りよがりで観念的なところが詩人を詩人として成り立たせていたようだ。実際の人物としては付き合い難いかもしれないが、詩は危うさと境を接した儚い美しさに満ちているし、生活が荒むようになってからは希望と絶望のあいだで揺れ動く悲哀と呪いとが目を奪う。最終的には革命がなった後の世界にも希望を失い、40歳で亡くなるまでの3年間ほどは何も書かなくなってしまったというから、当人の意識としては世に受け入れられず世を受け入れることもできなかった失敗の人生と考えていたに違いないが、ロシア詩の一時代を先導し、ある時期人々に大きな影響を与えたことは間違いない。その詩が持つ美質は、訳者小平武の功績によって、時代と地域を超え、日本語になっても今なお香ってくる。弱く脆そうであるがゆえに心にしみわたる言葉というものもあるのだ。

わたしの自由な夢は
いつもかしこへ 屈辱のあるところ
汚泥と 闇と 貧困のある方へ寄って行く
かしこへ かしこへ よりへりくだり より低く――
そこからは別の世がよく見える……

破綻してしまった人生と引き換えに得られたような詩の存在感はかなり重い。

【付箋箇所】
30, 36, 50, 66, 75, 81, 84, 90, 105, 111, 122, 133, 135, 189, 204, 206, 214, 223, 229, 233, 238, 240

アレクサンドル・ブローク
1880 - 1921
小平武
1937 - 1992