ベンヤミンやショーレムを参照しながらパウロの書簡におけるメシア的なもの・メシア的な時間について考察した短期集中講義録。メシア的な時間とは「過去(完了したもの)が現勢化していまだ完了していないものとなり、現在(いまだ完了していないもの)が一種の完了したかたちを獲得するような星座的な布置関係のうちに二つの時間が入り込む、ひとつの緊張の領域」であると定式化され、その表現のひとつとして韻を持った詩の構造などにも具体例をもって言及しているところなどは、単なる宗教論には終わらない奥行きの深さが感じられる。
【目次】
第一日 パウロス・ドゥーロス・クリストゥ・イエースゥ 〔パウロ 、 僕=奴隷 、 救世主イエスの〕
第二日 クレートス〔召された〕
第三日 アフォーリスメノス〔分かたれた〕
第四日 アポストロス〔使徒〕
第五日 エイス・エウアゲリオン・テウ〔神の福音のために〕 一
第六日 エイス・エウアゲリオン・テウ〔神の福音のために〕 二
閾あるいはトルナダ
パウロ書簡 ジョルジョ・アガンベン/ 上村忠男
【付箋箇所】
7, 9, 13, 18, 38, 48, 56, 65, 90, 120, 128, 138, 158, 162, 167, 171, 181, 214, 292
ジョルジョ・アガンベン
1942 -
上村忠男
1941 -
大貫隆
1945 -