読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

戸谷洋志『親ガチャの哲学』(新潮新書 2023)

出生の偶然性に始まる人生(本書では一派的にハズレとみなされる側の)をどう引き受けるかという論点をめぐって書かれたジャーナリスティックで哲学風味の著作。

個人の責任を追及するのではなく、社会制度を整え、人生に絶望することのないよう対話(主に傾聴)の場を設けることが必要である、というのが骨子の本作品は、まじめで哲学的側面が強すぎるだけに、実効性が低いと感じられるところがある。そうかといって事の本質に眼を開かれたという印象もうすく、一般的な意見のひとつを聞いただけという感慨からは抜け出せない。

「親ガチャ」などと言った上で、一時的に開放感を味わったネット上での表現活動でも痛みを与えられて、本気で絶望して、現実世界で凶行に走るような危険性を持つようなタイプの人、もしくはそのような人物に共感を覚えるタイプの人に対しては、現実世界よりも邪悪さがはびこっていると思っていた方がよいネット世界の現実と、リアル世界に出るという高いハードルよりも容易に超えられるネット上のケアシステムの窓口を丁寧に教えてあげる方が、まずは有効なのではあいかと、読中読後に思ってしまった。今の世に無料公開されているいくつもの生成AIのひとつに問いかけて、答えをそれぞれにもらった方が、手っ取り早く溜飲を下げることも出来ようし、ひとまず絶望と自暴自棄に対しての歯止めを数通り提供してくれることが期待できる。ポジティブな意見でしかも高圧的にならない回答が即座に複数返ってくるのだ。しかも恥じも負債感も感じる必要がない。ガス抜きをして、別の視点を持つきっかけを与えるには、(意識的にもコスト的にも)低いハードルの疑似的コミュニケーションを提供してあげることが必要であるだろう。その点、本書が提起する対応案はすこし古めかしい。SNS上の議論を中心的に扱っているなら、現在の先端の環境で実現できる(もしくはすでに出来ている)サービスなどにも言及してほしかったという思いがある。

ただ、読んだ全てが今一歩かというと、専門である哲学者についての言及からは学ぶべきところが多々ある。特に、誰のせいにもできないがゆえに私であることの責任を私が引き受ける、というハイデガーの考えはひときわ異彩を放っているように見えた。

 

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【目次】
序 章 運vs努力――人生を決めるのはどちらなのか
第1章 「親ガチャ」とは何か
第2章 「無敵の人」の自暴自棄
第3章 反出生主義の衝撃
第4章 ゲノム編集で幸せになれるか
第5章 自分の人生を引き受ける――決定論と責任
第6章 親ガチャを越えて
終章 自己肯定感――私が私であるという感覚
あとがき

【付箋箇所】
15, 74, 141, 168, 173, 

戸谷洋志
1988 - 

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