読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

村岡晋一『ドイツ観念論 カント・フィヒテ・シェリング・ヘーゲル』(講談社選書メチエ 2012)

近代ドイツ哲学入門解説書なのに、かなり面白い。なにかトリックが埋め込まれているのではないかと疑いを持つくらいに、かろやか。風通しがよい感じ。哲学者ごとに主要著作一冊と押さえておくべきポイントを思い切りよく絞り込んだために出てきた効果なのかもしれない。

全四章、256ページ。

カントを扱った第一章の半分は、カント哲学普及の立役者ラインホルトのカント哲学継承と批判の紹介に割かれているので、実質五人の哲学者でドイツ観念論の理論的枠組みを描き強調提示してくれている。哲学者間の関係性と個々人の思考で抑えるべきポイントはここと、あっさりと、もったいをつけずに論じすすめているところが、読者にへんな負担をかけないので、好ましく感じさせるもととなっているのかもしれない。

1789年のフランス革命での市民社会の成立を予期し併走した思索者たちが、ドイツ観念論の思考の運動を刻んでいった、その根底に共通してあるものを「終末論的陶酔」と規定し、歴史の到達点に立ったうえでのさらなる一歩を「いま」「ここ」から歩むための支えとなるような思索を各人が行っていたと、村岡晋一はとらえている。

自然科学の成功という歴史的事実から導き出したカントの『純粋理性批判』における「経験」概念。

カントの関係性の哲学に形而上学的残滓を見てそれを乗りこえようとしてかえって歴史性を失ってしまったラインホルトの基礎哲学。
「存在概念としての自由」を基礎に置いた「自由の体系」を作り上げようとしたが、人間と世界の関係を敵対的なままで終わらせてしまったフィヒテ

「悪」と「時間性」を導入することで世界の生成を語り「自由の体系」を実現しようとしたシェリング

「他者」と「ことば」の導入によって「自由の体系」を実現しようとしたヘーゲル

ドイツ観念論の到達点たるヘーゲルは、「終わり」を語った思索家としてとらえられることが多いが、じつは「終わり」のあとの終わりなき「いま」「ここ」にこだわりつづけた人物であったということが指摘されて本書は閉じられる。

全体のまとめとしては「あとがき」の以下の部分が簡潔にまとまっていて、最後まで気が抜けていないところもよい。

ドイツ観念論」の使命は、歴史の「これまで」と「これから」のあいだに明確な境界線を引いて、いままさに生まれでようとする「新しい存在と新しい新しい世界と新しい精神の形態」を過去の重圧から解放してやることであった。ドイツ観念論の最終到達点であるヘーゲルの「絶対知」とは、精神のこれまでの遺産をひとたび括弧を入れて、いまここで<それでよい>と語るような知なのである。(「あとがき」 p236-237 )

なかなか「それでよい」と肯定的に言いきるのはむずかしいのだが、ドイツ観念論は、いまここを「これでよい」と言えるように導こうとしている思索であることが、本書によってよく伝わってきた。

bookclub.kodansha.co.jp

【付箋箇所】
14, 29, 37, 62, 70, 75, 78, 81, 89, 93, 97, 112, 121, 128, 133, 139, 145, 16, 166, 175, 177, 187, 195, 208, 219, 234

目次:
序章 ドイツ観念論とは?
第一章 カント『純粋理性批判』の「歴史哲学」
第二章 フィヒテの『知識学』──フランス革命の哲学
第三章 シェリング──自然史と共感の哲学者
第四章 ヘーゲル精神現象学』──真理は「ことば」と「他者」のうちに住む
あとがき

 

村岡晋一
1952 -
イマヌエル・カント
1724 - 1804
カール・レオンハルト・ラインホルト
1757 - 1823
ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
1762 - 1814
フリードリヒ・シェリング
1775 - 1854
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
1770 - 1831

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com