読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

カール・グスタフ・ユング 『想像する無意識 ユングの文学論』(松代洋一訳朝日出版社 1985, 平凡社ライブラリー 1996)

副題の「ユングの文学論」から具体的作品分析などを期待していると、早々に雰囲気が違い一般的な文学論ではないことが分かる。文芸作品を含む芸術作品には意識の統制から排除された生命エネルギーが顕現することが多いことを、意識と無意識の相補的関係と、芸術家といわれる人たちに見られがちな社会的適応不全の傾向を絡めながら、芸術作品にあらわれる意識の桎梏からの超出、「癒し救済する魂の深み」に出会う「神秘的融即(participation mystique)」という原状態の出現の回路を描き出している。フロイトによる無意識の分析に付け加えて、ユングは種や民族としての蓄積情報としての集合無意識の存在を、意識や自我の補完的基層として捉えているところに特徴がある。非個人的で非合理にも見えるエネルギーの発現とそのはたらきが日常を超えた芸術の新たなる誕生となる。

二つの立場の(引用者注:自我と無意識という二つの立場)の対立は、両者の間にエネルギーを孕んだ緊張があるということで、この緊張が生動する第三のものを生み出すのである。それは、第三項は与えられず(tertium non datur)という排中律の死産児などではなく、対立による停止状態からの再始動であり、生気溢れる誕生であって、それによって次なる段階の生き方が導かれ、新しい状況が開かれるのである。
(「超越機能」p158)

最終の終着地があるのかどうかは別として、ヘーゲル弁証法的な運動と同型である。ただ、本書でとても印象に残ったのは、無意識のはたらきの不合理性というかいい加減さで、これは意識からの抑圧に論理的にあるいは系統立てて反抗しているのではなく、たまたま圧力が緩んで浮上してきた素材を時々の状況にあわせて変形して葛藤解消の減圧ガス抜きをしているというところ。意識によって方向づけされたものから排除された心的はたらきは、「人格の全体性」のもとに適宜和解させ、適応というかたちで自己肯定していく必要があるが、意識側の見方からすれば無意識は不完全に機能している、不思議というか不気味というかおかしな代物で、その不完全さに逆に生命の霊妙なはたらきを感じたりもする。

芸術作品という切り口から人間の無意識に興味をあらためて持たせてくれるユングの比較的軽い作品4篇。

創造する無意識 - 平凡社


目次:
分析心理学と文芸作品の関係
心理学と文学
エディプス・コンプレクス
超越機能

カール・グスタフユング 
1875 - 1961
ジークムント・フロイト
1856 - 1939
松代洋一
1937 -