平凡社ライブラリーのこの一冊は、2010年に平凡社から訳出刊行されたジャン=リュック・ジリボン『不気味な笑い フロイトとベルクソン』から生まれた古典的なふたつの論考を新訳カップリングしたアンソロジー的作品。
笑いと不気味なものというともに痙攣的なものに関する論考をグレゴリー・ベイトソンの精神的なものの「枠」に関する論考を引き入れながら結び着けて語ったジャン=リュック・ジリボンの小論を読んで感激した訳者原章二が、今回はベルクソンの「笑い」の新訳提供をいちばんの目的として新たに編成した本。訳者の「あそび・言語・生」という前作の解説を丸ごと収めたあとがきを含めて、手軽に一冊で読みとおせるのがうれしい。
読む順番は、ジリボン「不気味な笑い」、訳者あとがき、ベルクソン「笑い」、フロイト「不気味なもの」の順がお勧め。ベルクソンとフロイトの古典的作品がジリボンの導きによってぐっと身近なものとしてよみがえってくる。特にベルクソンの「笑い」は、ベルクソンの哲学に向き合うきっかけにもなるようなインパクトがある。「おかしさの制作方法を求めた」というおかしさの分析の元にあるベルクソンの思索の基底をなすものが表現されている箇所がいくつか含まれているように思えるのだ。
わたしたちは事物そのものを見ていない。ほとんどの場合、事物の上に貼り付けられたラベルを見ているだけである。そうした傾向は必要から生ずるのだが、しかし言語の影響がそれにさらに拍車をかける。なぜなら語は(固有名詞の場合を除き)種類を示すからである。語は事物のきわめて一般的な機能とごくありふれた側面しか記さず、事物とわたしたちとのあいだに割って入り、その語自体を生みだした必要の後ろにまだ隠されていない事物の形をさえ、わたしたちの目から覆い隠してしまう。
(『笑い』「性格のおかしさ」p127 )
この引用箇所には訳注がついていて、ベルクソンの言語観として『時間と自由』や『思想と動くもの』を参照するように誘っている。この他にもいろいろな誘いに満ちた一冊で、次に何に手を伸ばしてみようかとすこしばかりうれしい迷いの時間を与えてくれる。
【付箋箇所】
ベルクソン「笑い おかしさの意義についての試論」(初版1900 第23版 1924)
11, 15, 22, 24, 26, 33, 36, 43, 70, 75, 78, 86, 90, 109, 116, 118, 122, 126, 131, 135, 143, 150, 152, 159, 165,
フロイト「不気味なもの」(1919)
219, 237, 243, 251, 255, 290
目次:
アンリ・ベルクソン「笑い おかしさの意義についての試論」
おかしさ一般について形のおかしさと動きのおかしさおかしさの伝播力
状態のおかしさと言葉のおかしさ
性格のおかしさ
第二十三版の付記
ジークムント・フロイト「不気味なもの」
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ
ジャン=リュック・ジリボン「不気味な笑い」
夢と笑いの隠れた照応
ベルクソンの方法
びっくり箱、あやつり人形、雪だるま
狂気との関係
モリエール、越境する喜劇
滑稽さと不気味さ
滑稽さとナンセンス
「粋」という補助線
ベイトソンの視角
カフカ的宇宙、そして
フロイトの「不気味なもの」
二重化と一体化
笑いという生の領域
訳者あとがき
アンリ・ベルクソン
1859 - 1941
ジークムント・フロイト
1856 - 1939
ジャン=リュック・ジリボン
1958 -
原章二
1946 -
参考: