読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

新見隆監修『20世紀の総合芸術家  イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ』(2017)

興味の発端は野口米次郎の息子という情報。でも、このブックレット一冊を眺めてみただけでも芸術家イサム・ノグチのほうが存在としては大きいということが感じられる。シュルレアリスム的な活動をしていた時の彫刻や舞台作品はどことなくジャコメッティを想起させ興味深いが、それより時代の下った自然そのままの大地の延長としての玩具のない公園=プレイグラウンド、庭園、黒光りする石の彫刻などが心にぐっと迫って来る。書籍やネット上の情報だけでなく、実物にも触れてみたい気がしてきた。

わざとらしいものがなくなっちゃってどこか天国から落ちたといった感じ、それでいいんですよ。しかし、それは自然ではないですよ。人間が作ったものだから、人間で一杯です。人間で一杯ですけれどデコラチーフないろんな人を喜ばせるようなことが入っていないんですね。そのものだけ。それでその作品の意味というのはいつでも生きている、はっきりなんだと言うことは言えないけど、何かということを、いつでも感じさせる。それ、とても大事だと思うね。
(第4章「自然との交感―石の彫刻」 p131)

 

子供の頃に父野口米次郎を頼って通った北鎌倉の円覚寺の蔵六庵近辺で過ごした記憶がずっと作品の通奏低音となっているるように思う。

www.heibonsha.co.jp

目次:
イサム・ノグチ-彫刻から身体・庭へ-」展によせて ジェニー・ディクソン
In Consideration of: Iasamu Noguchi-from sculpture to body and garden Jenny Dixon
舞踊神のいる庭―イサム・ノグチ、あるいは未来のディオニソス 新見 隆

第1章 身体との対話
北京ドローイング―身体から抽象へ 宗像晋作
イサム・ノグチの彫刻と身体について ―マーサ・グラハム「ヘロディアド」の鏡を巡る一考察 瀧上 華

第2章 日本との再会
自然を知ること ―イサム・ノグチの陶彫 宗像晋作
AKARIの発展とノグチの想い 木藤野絵

第3章 空間の彫刻―庭へ
空間と大地 イサム・ノグチの庭について 福士 理
セントラルパークのためのプレイグラウンドのプランに関する考察 田口慶太

第4章 自然との交感―石の彫刻
ノグチ晩年の大型玄武岩作品の文脈 ダーキン・ハート
Noguchi’s Late Large Basalts in Context Dakin Hart

対談: 和泉正敏(公益財団法人 イサム・ノグチ日本財団 理事長)×新見 隆

イサム・ノグチ
1904 - 1988
新見隆
1958 -