読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コーラ・ダイアモンド編『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎編 ケンブリッジ1939年』(原書 1975, 講談社学術文庫 2015)

なに言っているんでしょう、ウィトゲンシュタイン。そんなことばっかり言ってると愛しのチューリング君にあきれられてしまいますよ。

前回の最後は紛糾してしまった。そしておそらく、今回も同様にもつれることになりそうだ。少し前に私が辿り着いたポイントから先へ進むのは非常に難しく思われる。しかし、私はそのポイントから進まねばならない。哲学は毛糸の玉をほどくようなものである。引っ張ってもなにもならないのだ。そして、私には引っ張りがちなところがある。(第23講 p419 太字は実際は傍点)

ケンブリッジ、1939年。50歳のウィトゲンシュタインと27歳のチューリング。気質の異なる二人の天才が向き合う哲学の講義録。全31講。変則的なショットばかり打つ哲学者ウィトゲンシュタインに、ストレートなショットを律義に打ち返す数学者チューリング。ひたすら癖玉サーブを打つウィトゲンシュタインに、涼しい顔でついていくチューリングの姿が延々みられる変則的なウィンブルドンテニスの決勝ゲームのような奇跡的な時間。後期の『哲学探究』の言語ゲーム論が練り上げられていた現場を追体験できる。

私の言いたいことを説明する際に最も難しく思われることのひとつは、我々の間にある違いを諸君が意見の違いとして考えたがるということである。しかし私は、諸君が意見を変えるように説得しているのではない。私はただ、ある種の探究を勧めているのである。もし、意見が問題だと言うなら、私の唯一の意見は、この種の探究が非常に重要であり、そしてそれが諸君のうちの何人かの性分に反している、というものである。もし、この講義において私がこれ以外に意見を述べたなら、私はへまをしたということになる。(第11講 p188 太字は実際は傍点)

基礎部分を叩き壊して固め直すような作業をしているウィトゲンシュタインとそれに付き合うケンブリッジの天才、秀才たち。やっぱり変っているが、存在していてくれてよかった。ウィトゲンシュタイン

 

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