めずらしいヴァレリーの散文詩。筑摩書房『ヴァレリー全集1』の400~509ページまで14の作品群が収められ、鈴木信太郎のほか、佐藤正彰、松室三郎、清水徹、菅野昭正が訳者として名を連ねている。注釈を参照しながら繰り返し読んでいかないとなかなか作品の世界に入り込んでいけない「若きパルク」のような作品と比較すると、ヴァレリーの散文詩は、本文を一度読むだけで感動できる親しみやすさがある。日本の詩歌の世界ではあまりとりあげられることもないようで、書籍も流通していない様子。来年はヴァレリー生誕150年ということなので、ちくま学芸文庫あたりで散文詩中心のオリジナルアンソロジーを組んでもらえると大変ありがたい。単純に読む歓びが湧きだしてくるような作品が多くあるので、文庫化すればそこそこ売れると思う。
ここにおいて人々は覚るであろう、水の陶酔があることを。飲まんかな……。飲まんかな……。真の渇は清水(せいすい)によってしか癒されないのは、人のよく知るところである。生物のまことの欲求と根源の液体との一致のうちには、何かしら本然(ほんねん)のものがある。渇する(アルテレ)ということは、他のものに成ること、悪化することだ。したがって、渇を医し、元通りに帰らなければならぬ。生きとし生きるものの求めるところに助けを借りなければならぬ。
(佐藤正彰訳「水を讃う」より)
ポール・ヴァレリー
1871 - 1945