読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ゲオルク・ジンメル『文化論』(阿閉吉男編訳 文化書房博文社 1987)ジンメル50歳台の後期思想「生の哲学」が根底に流れる熱量の高い文化論

50歳を越えてからのジンメルが生の展開や発展や開化や更新ということを強く説くようになったのは、ニーチェに傾倒した思想的背景が前面化してきたのに加え、老いを迎え病も得やすくなった自分自身を鼓舞する意味もあったのではないかと勝手に想像しながら読んだ。ニーチェも思想的には超人であり、抜群の強者であったかもしれないが、生活者としての実際は、むしろとことん弱者であったし、ジンメルに関しても、その知的能力から考えれば、妥当な扱いを受けることは少ない人物であった。そのなかで説かれる生の展開や更新の思想は、権力の思想に結びつけるよりも、芸術的到達点の更新という観点から受容していったほうが良い。

われわれの意識的な、かつ一定の努力は特殊の関心と能力に応じておこなわれるものであるから、おのおのの人間の発展は、その表現しうるかぎりにおいていえば、まったく異なった方向に、またまったく異なった距離に向かって延びる一束の成長線のように見える。しかし人間は、かような単一的な完成によって開化されるものではなく、定義しがたい人格的統一の発展のための、またはかような発展としての意義によってはじめて開化されるのである。別の語を借りていえば、文化とは、閉じた単一から開いた多数を通って開いた単一にいたる道程である。しかし、いずれにもせよ、問題となりうるのは、人格の発芽力のなかにもくろまれ、人格の観念的計画として人格そのもののうちにいわば素描されている現象だけである。
ここでもまた語法がたしかな水先案内となる。
(「文化の概念と悲劇」p22-23)

水先案内となるのは語法。諸活動の基底部分で運動していることばがもつ文法であったり用語の使い方。狭い意味での言語の文法だけではなく、絵画や音楽や映画や料理や運動など各分野に備わっており且つ融合され更新されていく文法。既にあるものを学び使いながら、自分なりの慣性形を身につけ完成形に導く果てのない運動。発展も開化も止まらない。老木の花というものもある。

 

【付箋箇所】
6, 22, 32, 44, 49, 59, 60, 82, 85, 87, 90, 93, 95, 104, 107, 114, 117, 123, 130, 132, 137, 138, 144

 

目次:

 文化の本質について 1908
 文化の概念と悲劇 1911
 文化諸形式の変遷 1916
 近代文化の葛藤 1918
 女性文化 1902, 1911
 われわれの文化の将来 1909

 

ゲオルク・ジンメル
1853 - 1918
阿閉吉男
1913-1997