読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

吉本隆明『源実朝』(ちくま文庫 1990, 初出 筑摩書房「日本詩人選」12 1971)

勃興する武家社会の中心で、疎外されながら象徴としてだけ生きた実朝と、王朝文化と没落しつつある律令国家の位階制度の権威に、まだ辺境の地にあった東国から、憧れ続けた実朝を、もろともに取り上げた源実朝論。

12世紀末、東国武家社会における惣領制という厳密に階級的で実力器量重視の勢力地図のなか、父頼朝の早すぎる死去もあって、変動する共同体の主たる勢力の北条家からは排斥される立場にあることを運命づけられてしまい、兄頼家の死や、心を許していた古参の氏族の消滅していく様を見ることで、自身の立場に関して十分に意識的であったという稀な人生において、元服前後の若い時期から命を賭けて生きる道を見出そうとした実朝。共同体の有様が変りつつあるなかで、旧態の、それでもまだ崩れ去る前の権威に期待をかけながら、自身の生きる時間を懸けた実朝。

統轄力がものをいう武家社会的においては、自身にその器量がないことを内的にも外的にも突きつけられ、人から与えられるであろう死によって終わるであろう予想される暗い未来に目を凝らし、それでも生き残る道を探り続けた実朝の心のうちは、時代を超えて21世紀の現代にもあやしい蠢きを伝えてくれる。

その特異な立場と共鳴することとなった詩人としての実朝の天賦の才がつくりあげたいくつもの詩的表現が、今現在でも、人の心をかきまわす。主流から外れたところで、孤独に且つ自由に、そして必然的に詠いあげた実朝の和歌の文体は、誰も真似することのできない、一回的な作品世界をこの世に刻んでいる。本歌取りという、旧作に敬意を表し支えられつつ、そこはない自分自身の心の揺らぎを打ち出す手法を多くとった実朝。藤原定家の導きもあって、万葉集古今和歌集をもろともに、自身の世界として呼吸しながら、その世界とは微妙に異なる孤心の世界に意図せず踏み出してしまったのが実朝という歌人なのだろうと思った。

自然共同体的なもののなかに充足している万葉的なものと、共同体的な時空間からの決定的な離反としての個と孤の出現を、『古今和歌集』にはじまる勅撰集の歌の傾向から順を追って導き出し、実朝において決定的な断絶を見出した、本書の吉本隆明の論述は、今現在でもかなり刺激である。

実朝の、自身はあまり意図していないであろう和歌表現の革新の一歩。12世紀においてはまだまだ文化的な辺境の東国にあって、武家の世界とその辺境の荒々しさは古代の歌に親和的で、しかも、中世の王朝の世界の雅にあこがれながらついには到達せず、王朝サロンの爛熟の成果とは一風変わった複雑な心理を醸して、独特な詩的世界を作り上げている。家集『金槐和歌集』は20代前半、それも22歳頃の極めて若いうちに成っていて、その早熟天才ぶりには目を見張るものがある。

[本歌取り]
花におく露を静(しづ)けみ白菅(しらすげ)の真野の萩原しをれあひにけり 『金槐和歌集』実朝

[本歌]
おく露もしず心なく秋風にみだれて咲ける真野の萩原 『新古今集』祐子内親王紀伊

実朝の歌は華麗且つ陰鬱で、美しくも過酷で心落ち着く歌ではなく、ある種の文芸好きには視線を逸らすことのできない魔力を秘めている。

 

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【付箋箇所】
29, 41, 58, 67, 106, 152, 159, 181, 182, 184, 202, 216, 232, 239, 242, 245, 259, 285

目次:
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10 〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜

吉本隆明
1924 - 2012
源実朝
1192 - 1219