慈円の家集。全五巻、全五八〇〇首余。当時の歌人のなかでは極めて多作、且つ、極めて高い質での即詠が可能であった稀な才能をもった人物。
慈円は、九条家出身で天台宗の最高位天台座主を四度務めた平安末期から鎌倉初期にかけての僧、ということに一般的にはなるのだが、鎌倉幕府よりの歴史書『愚管抄』を書いたことや、『千載和歌集』から『新古今和歌集』にかけての中心的な歌人であることのほうが目立っているので、真正の仏者という感じはしない。同時期に活動した法然、親鸞、明恵に比べると、仏教史のなかで取りあげられることはほとんどないことからも、慈円の活動の後世への影響の方向性というものが知られる。政争のただなかで一方の勢力に深く関与していたり、狂言綺語と分離できない和歌の世界に耽溺といえるほどのめり込んでいたりして、仏教界において立場的には最上級に高尚ではあるが、かなり俗っぽい人物という印象がある。幼少期から厳格で過酷な修行を行なっていたことも事実ではあるのだが、正統的な出家遁世というよりも、処世としての僧形という側面が、年を取るほど強く出てきているような気がする。ただ、それがために『愚管抄』が残され、『千載和歌集』と『新古今和歌集』の骨組みを確かなものにする多くの歌が提供されているのだから、後代の我々にとってはひとまずよろこばしい歴史上の人物であり、すぐれた作家なのだと理解しておいた方が落ちつきが好い。
0075 おしなべて憂き世の中を恨むるは我身ひとつの嘆きなりけり
0993 何事も思(おもひ)通らぬ身なれども心ばかりはとまらざりけり
4442 さまざまに憂き世の花はにほへども同じ仏の身とぞなるべき
4870 生きて猶友なきやみに迷哉(まよふかな)誰(た)がため月の曇らざるらむ
仏教的発想ではあるけれど、歌においてはじめて昇華し浄化される思いというものがあるのではないかと考えさせられる。
【付箋歌】
[上巻]
4, 14,27, 62, 75, 76, 78, 84, 104, 114, 140, 146, 149, 336, 393, 496, 568, 597, 604, 686, 779, 857, 885, 911, 979, 993, 1026, 1159, 1162, 1168, 1192, 1212, 1443, 1456, 1488, a5, a85, 1520, 19822007, 2056, 2064, 2201, 3002, 3010, 3049, 3051, 3232, 3241, 3250, 3431, 3433, 3548,
[下巻]
3882, 3981, 4156, 4224, s4242, 4266, 4295, 4423, 4432, 4436, 4467, 4526, 4839, 4870, 4880, 4887, 4891, 4926, 5048, 5611, 5627, 5753, 5773
慈円
1155 - 1225
法然
1133 - 1212
親鸞
1173 - 1263
明恵
1173 - 1232
参考: