読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コレクション日本歌人選053 石澤一志『京極為兼』(笠間書院 2012)

定家の曽孫にあたる京極為兼。定家晩年の嗜好を受け継ぎ、歌言葉の伝統を踏まえた優美で温雅な読みぶりを主張していた主流の二条派に対して、心のうごきを重視し、伝統的な修辞の枠にこだわらない言葉によって新しい歌の姿を確立しようとしたのが京極派といわれる。新しい方法論と新しい言葉で、伝統派の歌の世界を踏み越えていった京極派の歌の数々は、旧世代の狂言綺語に比べてより口語的で片言めいた表現をとる場合もあり、爽やかな軽さをまとっていることが多い。実景や実情に没入して、よく知る修辞が落ちた後に、ふっと湧き上がる言葉を掬いとってひとつひとつ形を整えているような歌の姿は、しなやかでありながらゆるがない芯の強さを感じさせる。

枝にもる朝日の影の少なさに涼しさ深き竹の奥かな
言の葉に出でし恨みは尽き果てて心にこむる憂さになりぬる
空しきを極め終りてその上に世を常なりとまた見つるかな

若いときから伏見院との関係が濃く、歌ばかりでなく政治にも深く関与した京極為兼は、その歌ぶりとは違った豪胆さを持った人物であったようで、その振舞いから二度の遠流にも合っている。一度目の佐渡流罪が解かれたのちの60歳の時に、第十四勅撰和歌集玉葉和歌集』(1313)を撰して、『新古今和歌集』以来の新風を刻んだところに、批評的な先導者としての力が十分に発揮されている。

詠み取るべき対象を新たに見出し、歌に新しい表現の言葉を採り込んでいく自分たちのあり方に、相当な自信を持っていたものと思われる。

京極為兼 | 笠間書院書籍検索

【付箋箇所】
27, 33, 35, 36, 38, 41, 51, 55, 60, 66, 68, 74, 80, 88, 108, 118


京極為兼
1254 - 1332
石澤一志
1968 -

 

五味文彦『後白河院 王の歌』(山川出版社 2011)

平安末期から鎌倉初期の激動の時代に、長らく治世者の立場として特異な存在感を保っていた後白河院。当初、帝の器に非ずと言われ非正統的な芸道である今様に入れあげていた皇子が、権力争いのひとつの駒として担ぎ出されて皇位に着いた後、宮廷内のパワーバランスの波に揺られ、それを乗りきるなかで、徐々に流れを操る主要プレイヤーとして誰もが注目する存在となっていったその歩みを、後白河院が終生愛し追求した今様の歌の数々とともに、克明に浮き上がらせ、後白河院の本質に迫ろうとしたのが、本書『後白河院 王の歌』である。

王家の嗜みとして和歌の教えも受けていた後白河院であるが、情熱を傾けたのは現代的で世俗的な今様の世界であった。純粋な愛好が度を越す追求となり、後に神仏に捧げる芸としての神事にまで昇華されていく様は、和歌の朗詠の世界よりも激しく、神仏に通じ、神仏を揺るがしうるとリアルに感じさせる力をもって紹介されている。神仏からのお告げの存在が公的な話題にもなるような時代において、後白河院は今様の歌謡によって神仏と交感しようとしたと見られている。

そもそも上皇は今様を介して神仏に通じることにより、神仏からの外護を期待していた。(中略)後白河上皇はこの神仏からの守護を得る望みを今様に託し、神仏の意思を直接に聞くためにも今様が必要と考えた。度重なる熊野詣はそれぞれの時期に上皇が神の意志を聞いたり、確かめたりするためのものとして行われ、今様は神との交信の媒介をしていたのである。
(Ⅲ 王の身体 8「忍辱衣を身に着れば」より)

後白河院仏道にも熱心で、新興の専修念仏の法然などとも関係があったようであるが、仏の言葉を声に出して念じあげたり詠いあげたりすることは、身心に直接はたらきかけて、おのれが見聞きしたいものを呼び寄せて受容する体勢をつくりあげるのであろう。命にもかかわる勢力争いのなかのひとつひとつの判断を、強烈な雑音の飛び交う中で孤独に選択していくには、自分より大きく確かなものが必要で、そこに信仰が生まれる必然性がある。

輪廻転生と解脱を基本的な枠組みとする仏教の世界を、今現在容易に信仰することはむずかしいが、それに比べれば、芸道の追求のなかに神秘的な瞬間や目覚ましい感覚の世界が発現することは信じてもいいことのように思えもする。後白河院が今様の歌唱を通じて神仏と交信したと信じ得たであろうことは、『梁塵秘抄』や『梁塵秘抄口伝集』などの著作から、そして本書の解説などから、想像がつく。正しい読み方であるとはいえないのだが、日常的判断を越えたところの感覚であったり思考を拓く道としてのもの(後白河院の場合は今様)に支えられた一人の人物の人生というものも本作から読み取れて、参考になった。

www.yamakawa.co.jp

【付箋箇所】
3, 4, 22, 28, 59, 88, 116, 136, 176, 186, 192, 194, 197, 218

目次:
はじめに
Ⅰ 王の記憶
 1 遊びをせんとや生まれけむ
 2 遊びに歩くに畏れなし
 3 武者の好む物
Ⅱ 王の歌
 4 君をも民をも押し並べて
 5 且つは権現御覧ぜよ
 6 千手の誓ひぞたのもしき
Ⅲ 王の身体
 7 欣び開けて実生るとか
 8 忍辱衣を身に着れば
 9 我等が宿世のめでたさは
Ⅳ 王の祭り
 10 喜び身よりも余るらむ
 11 君が代は千世に一度ゐる塵の
 12 半天の巖ならむ世まで
Ⅴ 王の涙
 13 龍女は仏に成りにけり
 14 峰の嵐の烈しさに
 15 ゆめゆめ如何にもそしるなよ
Ⅵ 王の力
 16 十悪五逆の人なれど
 17 空より参らむ
 18 沈める衆生を引き乗せて
Ⅶ 王の政治
 19 残りの衆生達を平安に護れとて
 20 慈悲の眼はあざやかに
 21 八幡太郎は怖しや
Ⅷ 王の死
 22 君が命ぞ長からん
 23 最後に必ず迎へ給へ
 24 風吹かぬ御世にも

五味文彦
1946 -
後白河院
1127 - 1192

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

笹川博司『三十六歌仙の世界 ―公任『三十六人撰』解読―』(風間書房 2020)

藤原公任(966-1041)の『三十六人撰』に選ばれている36人150首についての口語訳と解説に、大阪大谷大学図書館蔵『三十六歌仙絵巻』の歌仙絵の紹介を付けてまとめた著作。『三十六歌仙絵巻』は江戸中期に写されたもの。
36人150首の選択基準が著者自身の見解含めて書かれていないので、本書だけから公任の思いをうかがい知ることは難しい。疑問や消化不良を持ったまま、それでも感心の芽や探究のきっかけを残してくれたということで、逆に読後感の余韻が深まる。
柿本人麻呂紀貫之凡河内躬恒、伊勢r平兼盛、中務がそれぞ10首、それ以外の歌人はそれぞれ3首。
伊勢―中務の親子10首撰がやはり目立つ。

伊勢:
人しれずたえなましかばわびつつもなきなぞとだにいふべきものを

中務:
さけばちるさかねばこひし山ざくらおもひたえせぬはなのうへかな

まあ、簡単に理解できましたと言われたら、胡散臭いとおもわれるだけの背景は用意してくれている。

www.kazamashobo.co.jp

【付箋箇所】
4, 5, 15, 29, 43, 67, 82, 89, 98, 128, 136, 143, 152, 196, 205, 221, 237

目次:

柿本人麻呂紀貫之
凡河内躬恒・伊勢
大伴家持山部赤人
在原業平僧正遍昭
素性法師紀友則
猿丸大夫小野小町
藤原兼輔藤原朝忠
藤原敦忠藤原高光
源公忠壬生忠岑
斎宮女御大中臣頼基
藤原敏行源重之
源宗于源信明
藤原清正・源順
藤原興風清原元輔
坂上是則藤原元真
小大君藤原仲文
大中臣能宣壬生忠見
平兼盛・中務

歌題一覧

笹川博司
1955 -
藤原公任
966 - 1041

 

『長秋詠藻』とコレクション日本歌人選063 渡邉裕美子『藤原俊成』(笠間書院 2018)

後鳥羽院をして理想の歌の姿だと言わしめた藤原俊成の歌であるが、実際に読んでみるとどの辺に俊成の特徴があるのかということはなかなか指摘しづらい。薫り高く華麗な読みぶりで、華やかであるとともに軽やかさがあるところに今なお新鮮味を感じさせるが、強い個性の主張が歌のことばからはにおって来ないので、俊成の歌人像を自分なりに掴むことはかなり難しい。

息子定家によると、俊成は苦吟難吟するタイプの歌人であったようなのだが、時間をかけ苦労してつくられた歌からは、重さも硬さも丁寧に取り除かれていて、心地よい詠みぶりの歌ことばが佇まいよく連ねられている。

しかも、91歳で亡くなる直前まで歌作も判詞も衰えを感じさせることなく、高い質の仕事を生みつづけていたのだから、驚異的な人物であるのは間違いないのだが、人物的にも歌作の方向性でも優れたバランス感覚をもち、調和のとれた世界を創り上げているがために、その稀有な存在の凄まじさになかなか思い及ばないのが実情である。

強いていえば、崇徳院西行後鳥羽院、定家、良経、慈円式子内親王などの際立つ個性の持ち主のなかで、それらの人々が共通して持っている歌作の能力の優れた地の部分を、実作者であるとともに優れた批評家としての才能で磨き上げ得た存在が、藤原俊成という人物なのであろう。

そして、その万人に理解され受容されやすい優れた資質が、「歌の家」御子左家の礎を築きあげていったのだと思う。

「釈阿は、やさしく艶に、心も深く、あはれなるところもありき。殊に愚意に庶機する姿なり」『後鳥羽院御口伝』

歌が詠われる席にはかならず必要とされた俊成は、明晰なまま長寿を全うしたことも手伝って、『新古今和歌集』という和歌のひとつの頂上を準備した大きな立役者となった。あまり目立つことはなくてもしっかりと存在を主張していて、やわらかな味わいで後味よく仕上げているところに、俊成の歌人としての真骨頂があるのであろう。

思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

世の中を思ひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲

なかば放心した体で自然情景を眺めている姿に、運命甘受の肯定と陶酔の佇まいが薫っている。俊成の歌では、物事をひとつ越えたところでの陶然とした時の姿に出会えることが度々ある。

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【付箋箇所】
[長秋詠藻 付箋歌](明治書院和歌文学大系22『長秋詠藻・俊忠集』)
8, 9 38, 39, 44, 53, 55, 56, 62, 77, 88, 111, 133, 145, 146, 161, 180, 197, 200, 224, 228, 245, 246, 261, 273, 327, 362, 432, 460, 461, 467, 504, 557, 558, 577, 695, 704, 724756807

[俊忠集 付箋歌]※俊忠は俊成の父
20, 30, 39, 40, 

コレクション日本歌人選063 渡邉裕美子『藤原俊成
9, 19, 20, 22, 24, 28, 32, 35, 56, 60, 80, 82, 86, 111


藤原俊成
1114 - 1204
渡邉裕美子
1961 -

    

「伊勢集」とコレクション日本歌人選023 中島輝賢『伊勢』(笠間書院 2011)

王朝和歌の世界を決定づけた三代集第一の女性歌人小野小町ではなく伊勢。小野小町謡曲ほか様々な伝説として現代にまで残っているが、伊勢は伝説になるには輝かしすぎるほどの男性遍歴と子を残し、現実の裏付けのある恋歌と哀歌を残した。同時代歌人との交流、娘中務の存在、そのほかに本歌取りや後世の影響歌を考えると、日本の文芸史のなかでももっと取り上げられていい存在であるということが、今回伊勢集とその近辺の著作を読みすすめていくことで了解できた。
宇多天皇の女御温子に女房として仕えた伊勢は、まず温子の弟藤原仲平と関係を結んだがほどなく破綻、その後仲平の兄時平や平貞文との歌の贈答を核とした交際を経て、主人である温子の夫である宇多天皇の寵愛を得て皇子をもうけるが、十三歳でその子を亡くし、その翌年ごろから宇多天皇の息子である敦慶親王からの寵愛を受け、娘中務を産む。ときに数え39歳。
現代の平凡な倫理観からは到底容認できないような関係ではあるのだが、当時の最上層階級の色好みを良しとする価値観と、姻戚関係で家の栄達繁栄を願う貴族層の価値観のなかで、自らの身に降って下りてきた運命に、歌とともにこの上なく雅に上品に処することのできた人として伊勢がいる。
仕えていた温子や女房仲間との関係も酷く拗らせることなく、かえって温和に乗り切っているところに、伊勢個人の温和な人格と、温子がつくりあげていた後宮の環境の良さが思い浮かぶ。後代の源氏物語の情念の世界に至らずに済んだ一種ユートピア的世界を作り上げつつ、自分も中心人物として生きたのが伊勢という歌人なのだと思う。
ユートピアを作り上げるには、相互の関係性を装飾し、よき方向に増殖増幅させる含みのある表現が相応しい。直情で世界を凍りつかせるのではなく、曖昧ではあるが展開の余地を残し、あとの振舞いを誘う匂やかさ。風流心を損なわず、遊びと真心の行く先をスパイスを利かせながらも広く準備するふくよかさ。そのような空気感を感じながら、こちらもおっとりとした心を残しながら、張りのある伊勢の歌を読むのが、向き合う姿勢としてはよいのではないかと現時点では思っている。

風流を解する人たちの世界の礼儀として、感情も表現もいやらしくならない限界のところまで盛ってみていますので、あなたもお付き合い願います、という心を読みつつ歌を読む心意気が現代人にも求められているであろう。

宵のまに身を投げはつる夏虫は燃えてや人に逢ふと聞きけむ

夏虫の身をも惜しまで魂(たま)しあらば我もまねばむ人目もる身ぞ

すむことのかたかるべきに濁り江のこひぢに影のぬれぬべらなり

和泉式部などとは違った、受け身の凄味というものが伊勢には感じられる。攻撃よりも受け身で見せられるのが芸道の凄さである。

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【付箋箇所】
[伊勢集(明治書院和歌文学大系18) 付箋歌]
8, 9, 104, 172, 182, 206, 218, 233, 288, 294, 301, 372, 383, 429, 458, 462475, 478, 483

コレクション日本歌人選023 中島輝賢『伊勢』
19, 20, 27, 35, 40, 69, 77, 83, 92, 94, 124, 126


伊勢
872? - 938以降

 

コレクション日本歌人選045 高重久美『能因』(笠間書院 2012)

名利関係なしの本格的な数寄者、能因。歌に耽溺する人物は歴史上数多くいるとはいえ「能因歌枕」のような後世に大きな影響を与えるほどの著作を持つ歌人はなかなかいない、俗世間から離れ歌枕を訪ね歩く漂白の歌人として、後の西行芭蕉に大きな影響を与えた理由が、本書を読むとかなりわかる。また、同時代人として相模や和泉式部などとの交流があったことも知れる、なかなか充実した能因アンソロジー

「我れ歌に達するは、好き給ふる所なり」
「数寄給へ、すきぬれば歌はよむ」

社交の道具としての歌を超えて、己の生きるよすがとして詠まれた能因の歌には、時代を超えて人の心を打つものがある。

いづくとも定めぬものは身なりけり人の心を宿とする間に
わび人は外つ国ぞよき咲きて散る花の都は急ぎのみして

数寄者であり、侘び人でもあると自身を規定しながらも、人恋しさや自然風物に寄せる思いは人一倍濃い。旅をするのにも、人を頼らず閑居するのにも、多くの困難があったであろう時代において、独り歌心を極めていこうとした能因の道のりには野太いものがあり、能因を慕う西行芭蕉に比べても、より若々しく、より男性的な印象にあふれている。歌枕を訪ねる旅にしても、馬の交易や鷹狩の鷹の交易に携わっていたらしい職業的背景も関係しているようで、平安時代の生活者としての姿も浮かんでくる。本書は、歌の鑑賞だけではなく、能因というひとりの人物に近づけることができる情報がたくさん盛り込まれていて、とても興味深い著作に仕上がっている。西行芭蕉に関心があっても、能因のことはあまりよく知らないという人におすすめ。

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【付箋箇所】
4, 37, 45, 60, 61, 75, 76, 79, 88, 97, 99, 106, 107, 110, 117, 121

 

能因
988 - 1052以降
高重久美
1943 - 

 

コレクション日本歌人選019 島内景二『塚本邦雄』(笠間書院 2011)

罌粟枯るるきりぎしのやみ綺語驅つていかなる生を寫さむとせし
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちをおもひ出づるよすが

塚本邦雄主宰の歌誌「玲瓏」が創刊されたのが1986年(昭和61年、チェルノブイリ原発事故があった年)、邦雄66歳、島内景二31歳。創刊当初からの深い付き合いで、歌人ではなく研究者になることを塚本から諭されたという経歴の日本文学者島内景二による鑑賞付きアンソロジー。歌集未収録の最晩年の作品にも言及されていて、いつの時代であっても華麗なばかりではなかった歌作の実際を、塚本の最も身近な伴走者のひとりが、心を籠めつつ容赦なく語り出した鋭利な一冊。

笠間書院のコレクション日本歌人選の第一回配本で、しかも脚注の版組が、ほかの歌人ほかの配本とは異なり、量的にも内容的にも歌の背景に迫る、鑑賞文の増補的意味合いの強い批評文で占められている。前衛歌人として並び立つ岡井隆は2020年まで存命で、本選集の収録歌人には選ばれなかったのであろうが、シリーズ内では寺山修司とともに現代短歌界にとっての重要作家として特別視されていることがわかる。

戦後の出版社会においてあえて正字正仮名を貫き、且つ、その歌風は幻視世界の創造を良しとするところもあって、いかに秀歌がつづいていても、通りいっぺんの浅い鑑賞では、一種つくりものめいた人工感の後味がどうしても残るのだが、そこに塚本邦雄が貫いた美学の掛け金が惜しみなく注がれていることも島内景二の鑑賞からわかるようになっている。

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

三島由紀夫も愛したという『感幻楽』の「馬を洗はば」の歌は、同歌集の小唄に取材した独特の姿勢とともに、塚本邦雄の世界観と言語感覚と歌謡などへの音楽的感性が見事にミックスされた代表作であることを強く押し出し、読者に無理せず納得させるような構成になっている。

見開き二ページに一首の鑑賞と背景紹介という難しい作業を、塚本邦雄と島内景二の濃密な関係性そのままに、非常に圧縮された状態で展開し、確かな歌人像を創り上げたことには賛嘆の思いしかない。生前刊行歌集には未収録の、晩年の意識混濁下で創作されたであろう作品への言及を、避けることなく敢行されたことには、余人にはうかがい知れない歌魂の交歓があるのだろうと思った。

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【付箋箇所】
3, 7, 16, 29, 30, 42, 54, 56, 64, 84, 86, 88, 98, 101

目次:
塚本邦雄50首
歌人略伝
年譜
解説「前衛短歌の巨匠塚本邦雄」(島内景二)
読書案内
【付録エッセイ】ドードー鳥は悪の案内人--『塚本邦雄歌集』(寺山修司

塚本邦雄
1920 - 2005
島内景二
1955 - 

※本日ゴダールが逝去されたという。時代がまたひとつ移りかわり、後戻りの余地が無くなった。