読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

サミュエル・ベケット「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」(1929、川口喬一訳)

千頁を超える作品を読み終えた後は、誰かの何かに消化を助けてもらいたくなる。先日ヴィーコの『新しい学』(中公文庫)を読み終えて、落ち着かない気分でいたところで助けてもらったのがこのベケットジョイス論。『進行中の作品』として語られるのは『フィネガンズ・ウェイク』。造語をバンバンつくりだして語られる作品には、ダンテ、ブルーノ、ヴィーコの言語活動、特にヴィーコの言語活動の流れが大きく取り込まれているという。このベケットジョイス論は、言語を創造するのは詩的行為であるということがはっきりと示されているエッセイとなっていて、ヴィーコの『新しい学』が示しているものも、『フィネガンズ・ウェイク』の言語とともに語られることで、より鮮やかに浮き上がらせてくれている。

果てしない言語の発生、成熟、腐敗、循環的中間生成物のダイナミズムがある。このようにさまざまな表現媒体をそれぞれの原始的経済的直接性にまで還元すること、これらの原初のエッセンスを思考の外在化のための、同化された媒体にまで溶解させること、これこそまさに純粋なヴィーコであり、文体の問題に応用されたヴィーコである。しかしヴィーコは、本質的に相異なるさまざまな詩的成分の蒸留によるよりもなおあからさまに、合成シロップのなかに反映されている。主観主義あるいは抽象を企てる様子は、ほとんど、あるいはまったくなく、形而上的一般論の企てもまったくないことにわれわれは気がつく。提示されるのは、個別的なものの陳述だけである。それは古い神話――汚れた道を行く娘、川の岸辺の洗濯女――である。そしてここには相当なアニミズムがある。
(『ジョイス論/プルースト論』所収「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」p110)

白水社のサイトを見たところ本年5月21日に復刊されるようなので、注目して見てもらいたい。本エッセイは、日本語の漢字、ひらがな、カタカナ表記の混在具合も独特で、通常の言語感覚が揺さぶられることにも期待してほしい。

 

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サミュエル・ベケット
1906 - 1989
ダンテ・アリギエーリ
1265 - 1321
ジョルダーノ・ブルーノ
1548 - 1600
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
1668 - 1744
ジェイムズ・ジョイス
1882 - 1941