読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

詩人としての安東次男 思潮社現代詩文庫『安東次男詩集』(1970)を読む

現代の日本には少なくとも三種類のpoetがいる。俳人歌人、現代自由詩人。明治時代までであればこれに漢詩人も加わることになる。複数の専門領域に分けられる日本の詩。すみ分けて、多くの詩人が生息できることには良い面と悪い面があるだろう。その辺の事情をきっちりと論じてくれる国文学系の学者が沢山出てきてくれるとありがたいのだが、日本の学者は詩全般を比較吟味する批評理論よりも、専門的な解釈学のほうにばかり秀でている場合が多い。詩人にしても、三種すべて兼ねている人はまれで、その人たちにも主戦場といったものは自ずと出てくる。

俳句、短歌、現代詩を書く詩人としては、高橋睦郎
俳句、短歌、現代詩を書く歌人としては、塚本邦雄
俳句、短歌、現代詩を書く俳人としては、ちょっと無理はあるけれど寺山修司

俳句と現代詩をともになす詩人というのは吉岡實や加藤郁乎などの人物を頂点に幾人もいるけれど、そこに短歌が加わることはまず稀だ。塚本邦雄は飛び切り珍しいタイプの日本詩人で、短歌に俳句の情趣を持ち込んで、日本の詩の世界、ことに短歌側の世界を変えた。短歌、現代詩を書く歌人としては折口信夫が筆頭か。いずれにしても日本の詩を考えるうえで、三つの様式、三つの専門的領域が存在しているのは考えるに値することだと感じている。

ところで、芭蕉連句評釈で著名な安東次男は、日本の詩人としての活動として分類するならば俳句と現代詩をともになした俳人、あるいは詩人から俳人へと大きく重心を移していった詩人、どちらかといえば後者がより適切な表現になるだろう詩人である。フランス文学を修めて、エリュアールの翻訳紹介者として活躍し、日本の詩人としては冨永太郎を愛していたであろう安東次男は、一九七〇年まで詩集を刊行するものの、以後は句集だけ発行するようになる。はたから見れば詩を捨てて俳句を選択した日本詩人という人物像に落着く。一九七〇年に刊行された思潮社の『安東次男詩集』は日本の現代自由詩への置土産というか詩人としての転換のけじめの書と見える。今回、詩篇部分については三周くらい繰り返し読みすすめ、私個人としてはとても好きな傾向の詩作であったので、最終的に「死んだ頭」を置いて現代詩の世界から立ち去ってしまった安東次男の詩への向き合い方はかなり印象的だ。

ある静物
 
 昔聞洞庭水今登岳陽楼(杜甫

頭はすこしばかり遅すぎた季節の(それとも
すこしばかり早すぎた季節の)果物だわずか
ばかりお期待の温度と垂直に降る季節の中で
水平に流れる桶の中の少量の雨水とがあれば
熟することもできるのだがそれも今ではどう
やら手遅れに思える果物は一本の古縄の先で
途方もない垂直の成熟をゆめみるかあるいは
それとも粗末な食卓の上で横になりながら猶
も自分のうちの何物かを横たえたいとつまり
こんりんざい水平になりたいという芯の渇き
に皮膜をつくる微かな皺を責めさいなむしか
ないすぐそこに来ているじぶんに似た物象の
強烈な新鮮さに撃たれながらも猶それは本当
の果物ではない熟れることができるためには
nature morte  つまり 死んだ自然 でなけ
ればならないと頑固に信じてやめないこんな
果物の一つを慌しい歳晩の雑踏の中に認めた
ときひとは あの男は死んでいる と云う。  (十二月)

(詩集『CALENDORIER』1960より ※物象には「もの」のルビ)

 

縄につるされた干し柿のような、あるいはテーブルの上に転がった梅の実もしくは林檎のように、単に追熟というよりもドライフルーツ化の過程の途上にある死んだ男の頭を歌い上げている。本当にその時期に摘果してしまってよかったものか、摘果後の追熟や乾燥の過程をさらに観察したほうが良かったのではないかという、落ち着かない気持ちを持ちながら現代自由詩人としての最終期の安東次男の作品にじっくりと触れはじめている。

安東次男本人は現代自由詩人を切り上げて以後も芭蕉評釈や俳句の世界で表現を追求しつづけていたことも念頭に置いて、この別れ、始末、置土産に繰り返し立ち戻ってみたいと考えさせられた。

 

安東次男の句から:

どしゃぶりと紛れぬていに滴れり
ふるさとの氷柱太しやまたいつか見む
この国を捨てばやとおもふ更衣

 

安東次男
1919 - 2002