ガタリの『機械状無意識』(原書1979, 訳書1990)はプルーストの『失われた時を求めて』を論ずるために書かれたもので、本来第二部が主役である。「機械状無意識の冗長性物の二つの基本的範疇」としてあげられる顔面性特徴とリトルネロ(テンポ取り作用、あるいは通過作用)という二つの概念を用いることで、ガタリが「驚くべき一大リゾーム地図」とよぶ『失われた時を求めて』の錯綜したディスクールを見事に腑分けし、見通しよくマッピングしてくれている。 プルーストの大作の全体的把握を100ページ程度で提示してくれただけではなく、読み通すことよりもいたる箇所で作動している物事や出来事の分離結合に身をさらすような小さな読書を勧めてくれているようなところもあり、『失われた時を求めて』の世界に足を運びやすくもしてくれている。
最後に明らかにすべき点は次のことであろう。つまり、プルーストが暗示しているものとは違って、まるで探検家か何かのように振舞ってその発見に向かわなければならないような、ある隠された次元、ある本質物の世界がそこで問題となるのでは決してなく、問題となるのは基本的にミクロ-政治的なある次元であって。この次元は主体的秩序状態の「逆転」へと至り、支配的諸冗長性物からその内容を空にし、発話行為を脱属領化したり脱個体化したりすることに専念するような、ある新たなタイプのリトルネロの進入を含んでいる。
(第2部 『失われた時を求めて』のリトルネロ 第3章「機械状諸属領性物」 p362)
くりかえし演奏されるヴァントゥイユの小楽節を聴くように、『失われた時を求めて』の幾ページかをつまみ食いするように楽しむ。できればそうしたい。井上究一郎訳のほかにも何種か訳も出て、プルーストを読む環境はより身近になってきているし、今回のガタリが与えてくれた補助線もあるのだが、全10巻にもなる顔面性にはやっぱりちょっとたじろいでしまう。
目次:
第Ⅰ部 機械状無意識
第1章 序論 ロゴス、それとも抽象機械か?
第2章 言語から外へ出る
語用論のくずかご
言語はそれ自体では存在しない
統治標識と権力標識
言語的普遍概念は存在しない
記号学的拘束、記号論的自動制御
イェルムスレウへの回帰、それとも迂回か?
第3章 発話行為アジャンスマン、変型、語用論的領野
記号内容および記号表現アジャンスマンは空から降ってきたものではない
資本主義的諸アジャンスマンのシニフィアン的抽象化作用
四つの混合タイプの発話行為アジャンスマン
三つの限界領野
間-語用論的領野の諸変形
第4章 シニフィアン的顔面性、図表的顔面性
顔面化された意識と対象なき反省的意識
A 資本主義的顔面性
脱コード化とされた流れに「服を着せる」ための顔面性
シニフィアン的二項対立機械としての顔面性
諸顔面-風景の一方通行的平滑化
顔面性的統辞法物とシニフィアン的量化作用
B 図表的顔面性特徴
第5章 リトルネロの時間
A 資本主義的リトルネロ
B 動物の世界における音声的、視覚的、行動的リトルネロの比較行動学
比較行動学的序列、あるいは生物-行動上エンジニアリング
領土の多次元性
ヒヒにおける顔面性-身体性、性、縄張、序列、および自由意志
若枝のリトルネロ
第一縄張的系列
第二の系列 オーストラリアのアトリのリトルネロ
遺伝的コード化、インプリンティング、学習、即興行為……
記憶とリズムの共時態
第6章 スキゾ分析のための基準標識
モル的および分子的な存在的ミクロ-政治
諸段階と諸規範
透写と系統樹、地図とリゾーム
スキゾ分析と分子革命
二つのスキゾ分析
三次元のスキゾ分析
八つの「原則」
第7章 (補遺) 諸記号の分子的横断
A イコン、インデックス、記号システム、言語、および図表的記号論物の機械状系図
イコン的諸成分
インデックス的(あるいは指標づけ作用)諸成分
コード化作用諸成分
記号論化作用諸成分
主体化作用諸成分
意識的諸成分
図表的諸成分
B 通過諸成分に関する要約
非-人間的機械状諸アジャンスマンにおける一般的な通過諸成分と可能物の組織
記号論化諸アジャンスマンにおける通過諸成分と選択組織
通過諸成分と資本主義的主体化作用
第2部 『失われた時を求めて』のリトルネロ
記号論的虚脱としてのスワンの恋
1つのリトルネロに対する9個のアジャンスマン
機械状諸属領性物
ピエール=フェリックス・ガタリ
1930 - 1992
高岡幸一
1942 -