物体に触れてはたらく想像力はエンペドクレス以来の根本四大元素にいたりつくまで進むことによって詩的喚起力を持つイマージュをつくりあげるという。本書『水と夢』は『火の精神分析』(1938)につづいて刊行された物質についての想像力論の第2巻。四大元素の「火」「空(気)」「水」「土(地)」のうち「水」のイマージュを扱った著作となる。
多くの詩を読み解きながら詩的想像力を分析していく様子は、善き詩の読み手による西洋詩の詳細な案内にもなっている。マラルメ、ヴァレリー、エリュアール、ゲーテ、ニーチェ、エドガー・ポー、ボードレール、ラフォルグ、シェークスピア、ランボー、クローデル、ミシュレ、スウィンバーン、ワーズワースなど。バシュラールの影響下で改めて読んでみたくなる詩人が複数候補に挙がってくる。特に第二章全篇に渡って論じられているエドガー・アラン・ポーと、著作全体にわたってしばしば引用されるポール・クローデルは気にかかる。水の本性と同じように言葉もたえず流れることを望んでいるという、その流れを見ることへの誘いの言葉とともに詩人の特徴的な肖像がとらえられていて、あらたな本への導きともなっている。読者の想像力が活性化される手前で、想像力が活性化されている代表例が挙げられているので、せっかくなら参照しないでおくという手はない。
本書には「四つの元素のうち、揺することのできるものは水だけである」というような根拠のあまりはっきりしない断言のようなものもあって知的な厳密さがどこまであるのかははっきりしない。空気の流れとしての風も、大地の震動としての地震も、宇宙原初の火も、それ自身も接触している他なる物体も揺することができているのではないかとも思いはするが、本書論考のなかではさほど不自然さや無理矢理感は感じさせない。たとえば以下のような文章は、発想は一見突飛ではあるが、充分に説得力があって印象的である。
泥土は水の粉末である、ちょうど灰が火の粉末であるように。灰、泥土、埃、煙はそれぞれの物質を果てしなく交換するイマージュをあたえるであろう。この細分化された形で元素的物質はコミュニケーションをおこなう。それはいわば四元素の四つの粉末である。
(第4章「複合的な水」より)
灰は火の粉末、泥土は水の粉末、埃は土地の粉末、煙は大気の粉末。この前後にまさにそのとおりというような詩の引用はないのだが、バシュラールの文章自体が詩的喚起力に富んでいるので、読み手としては進んでその主張を受け入れる態勢をとっている。なんならもっと言ってしまってくださいという期待を持ちながら読みすすめることができる詩的なテクストである。
【付箋箇所】
6, 36, 74, 91, 162, 170, 173, 201, 215, 240, 253, 274, 276, 277, 280, 282, 287, 289, 299, 353, 359
目次:
序 想像力と物質
第1章 明るい水、春の水と流れる水
ナルシシスムの客観的条件、恋する水
第2章 深い水―眠る水―死んだ水
エドガー・ポーの夢想における〈重い水〉
第3章 カロン・コンプレックス
オフィーリア・コンプレックス
第4章 複合的な水
第5章 母性的水と女性的水
第6章 純粋と浄化、水の倫理
第7章 淡水の優位
第8章 荒れる水
むすび 水のことば
ガストン・バシュラール
1884 - 1962
及川馥
1932 -