風呂場の外ではカッシーラーの『シンボル形式の哲学』と中井正一全集を読んでいる2020年の年末、おおつもごりへむかう日々。
できることならカッシーラーの既刊文庫本(岩波文庫の『人間』、講談社学術文庫の『国家の神話』)で風呂場で読書も整えたいところではあったのだが、最寄り駅の南北商業施設に入っている大手二系統書店にはいずれも在庫がなく、次善策として、これまで読みあぐねていたガタリのハードカバーの作品を風呂場に持ちこんでみる。こころの仕組みの研究つながり。
ちなみに、今回のメインターゲットとは違うところで購入した書籍は以下のもの。
新刊書店、新刊書籍はピンとくるものがなく、近場のブックオフでの日本古典系中心に著作五点を購入。
・辻惟雄『日本美術の歴史』(東京大学出版局 2005)
・ジグムント・バウマン『グローバリゼーション』(原書 1998, 法政大学出版局 2010)
・『清沢満之集』(岩波文庫 2012)
・『現代語訳 清沢満之語録』(今村仁司編訳 岩波現代文庫 2001)
・『樋口一葉小説集』(ちくま文庫 2005)
『機械状無意識』は、ふやけてしまっても転売するつもりはもとからないので、ここで成就してくださいとおもいながら風呂場に持ち込んだ。
「手術台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い」(ロートレアモン)に準ずるところの、法政大学出版局叢書・ウニベルシタスと日本的浴室(160L42℃のお湯と森林系香料配合入浴剤と中年肥満裸体)との用意された出会いで、裸体の読者たる自分自身を自らもてなす局所的時空。
今回は、失礼ながら自分の楽しみを形づくるためだけの趣味的アレンジメント。商業ライン上での物同士の出会いではあるが、なにか変態的なこころの変節がでてくる、あるいは誘発して顔をのぞかせてくれれば儲けものとおもいつつの入浴読書。
ガタリさん、弾けてください。できれば、こちらがわも弾けさせていただきたいと思っています。
まあ、何も起こらなくても休日の朝風呂二時間は、寝惚けた身体を温めてくれて心地よく、全体が冷えてしまう前にストレッチで身体をのばして刺激を行き渡らせておこうかと、普段は思いもしないようなことを思えるだけでもありがたい、二〇二〇年の年の瀬。
目次:
第1部 機械状無意識
序論 ロゴス、それとも抽象機械か?
言語から外へ出る
発話行為アジャンスマン、変形、語用論的領野
シニフィアン的顔面性、図表的顔面性
リトルネロの時間
スキゾ分析のための基準標識
(補遺)諸記号の分子的横断)
第2部 『失われた時を求めて』のリトルネロ
記号論的虚脱としてのスワンの恋
1つのリトルネロに対する9個のアジャンスマン
機械状諸属領性物
ピエール=フェリックス・ガタリ
1930 - 1992
高岡幸一
1942 -