ベルクソンの『笑い』とフロイトの『不気味なもの』の並行した読み解きで、二つのテクストを共振させ、知的刺激をより広範囲に波及させようとする試みの書。途中からグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』のなかのメタメッセージとして働く「枠」の考察にも論究がひろがり、探究の深度も震度も目を見張るものとなっている。本文60ページ足らずの凝縮された小品に、30ページの力のこもった訳者解説が加わり、小気味良い一冊に仕上がっている。評判がよかったためか、2016年には同訳者によるベルクソンとフロイトの新訳テクストをカップリングさせた『笑い/不気味なもの 付:ジリボン「不気味な笑い」』が平凡社ライブラリーから刊行されているし、その後もベルクソンの『精神のエネルギー』『思考と動き』が立て続けに訳出刊行されている。ベルクソンの入門や再入門には優れた書物であると思うし、フロイトやベイトソンに手をのばすきっかけとしてもグリップが効いているので役に立つ。小品であるために立ち戻って読み直すということも比較的気軽に出来るし、訳者解説もそれだけで独立した論考として向き合うことができるので使い勝手はいいと思う。
ジャン=リュック・ジリボンによるベルクソンとフロイトとの接合、笑いと不気味なものの接合は、たとえば次のような記述で行なわれる。
「儀式や礼拝の厳粛な目的が忘れられるや否や、そこに参加している人々がまるで操り人形のようだと感じられてくる。」
わたしとしては、ベルクソンにならってさらにこういいたい。寸劇やコントのおかしさが忘れられるや否や、それを演じている操り人形が、目的の理解できない厳粛な儀式や礼拝に参加しているように感じられてくる。
(Ⅲ「びっくり箱、操り人形、雪だるま」p27)
規範的なものから疎外されているものごとを距離を置いて外側から観察するときにおこる笑いと、規範的なものの枠組み理解から追放されながらも不本意に役割を与えられ演じてしまっていることを感じてしまっているときにおきる不気味さ(カフカ的宇宙)。規範や枠組みを軸にもつ反転関係に目を向けるようにしてジリボンの論考は展開されていく。そこからダブルバインドといった「枠」の「病理学」を探求したベイトソンが呼び出されるのは、いわれてみれば必然で、破綻なく展開するジリボンの論考はとても刺激に満ちている。
※平凡社ライブラリー『笑い/不気味なもの 付:ジリボン「不気味な笑い」』には訳者解説を含めて本書が丸ごと収録されているので、購入する場合はそちらがお得。ジリボン論文と訳者解説からよんでも、ベルクソンの『笑い』とフロイトの『不気味なもの』の存在感は、薄れないというかより増してくる。
目次:
1 夢と笑いの隠れた照応
2 ベルクソンの方法
3 びっくり箱、操り人形、雪だるま
4 狂気との関係
5 モリエール、越境する喜劇
6 滑稽さと不気味さ
7 滑稽さと不条理
8 “枠”という補助線
9 ベイトソンの視角
10 カフカ的宇宙、そして
11 フロイト“不気味なもの”
12 二重化と一体化
13 笑いという生の領域
訳者解説 あそび・言語・生
ジャン=リュック・ジリボン
1958 -
原章二
1946 -
参考: