読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

大澤昇平『AI救国論』(2019)

東大史上最年少准教授という肩書をポジティブに強調しながら論が進められる一冊。競争が好きで、大体の競争には勝ち進んできた人なんだなという印象を持った。

今の世界はグローバル資本主義であり、このゲームにおいて金を集められることは、種としての生存確率を高めることと等価である。文字通り、この世界で最も偉いのは「金を集められる人間」なのだ。この後も、AとBどちらがよいか、という議論が出てきた場合、すべて資本をベースに議論することにする。(「なぜコンサルタントがエンジニアより偉いのか」p58)

資本主義から抜け出ることは基本的に無理なことは理解しているつもりだが、これほど極端に資本の視点一本で押し通されてしまうと気にかかりつつも距離を置きたくなる。技術的にすごい人であることは間違いないし、パースのアブダクションなどを思考のベースに据えているところなどは興味深いので、もう少し人物を調べようとウィキペディアを覗いてみたところ、SNS上の発言で炎上していることを知った。五年先くらいにこの人はどうなっているだろう?

www.shinchosha.co.jp


大澤昇平
1987 -

佐藤優『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(2018)

筑波大学での講義の書籍化。小峯隆生が聞き手となり対談形式で話が進む。この講義での佐藤優は圧倒的な知識を背景にアクロバティックに話を展開していく。レクチャーしながらも、圧縮された情報で相手の思考を揺さぶっていくようなスタイルには、怖さを感じる。講義の内容に感心するよりも、この人と話をするのは大変だという印象が先に立った。

ここでふまえておかなければいけないのは、ゲルナーも、アンダーソンも、広い意味でのマルクス主義の影響を受けて近代主義を提唱している点です。
近代において支配者階級と労働者階級が誕生しました。産業社会の誕生と国民形成の関連性から民族とナショナリズムについて研究しています。
ですから、私は、近代主義という切り口よりも、道具主義の視座で見たほうが、しっくりくるのではないかと思っています。
――道具主義ってなんでしょうか?
道具主義とは、「概念、理論は、それらがいかに精密で無矛盾であっても、仮説とみなされるべきである。概念、理論は、道具である。すべての道具と同様に、それらの価値は、それ自身の中にあるのではなく、その使用の結果、現れる作業能力(有効性)の中にある」というアメリカの哲学者ジョン・デューイの考え方です。もちろん道具主義近代主義の流れに属します。
産業社会で生まれた資本家たちや、支配する階級が、自分たちの暖かい場所を維持するために、自分たちが国民、民族の代表であるといった形を作ろうと、いろんなイデオロギー操作、イメージ操作を行いました。その結果、エリート層というものが生まれ、さらにそれらの人間が、自分たちの特権を維持するためにナショナリズムという物語(道具)が必要だったのです。(第九講「ナショナリズムについて」p125-126)

ここでの「道具主義」はプラグマティズムpragmatism)の訳語。中途半端な知識で耳で聞いているだけだと、なんだろうって考えているうちに、話は先に進んでいってしまう。物語が道具だというのも、とまどっているとおいてけぼりをくいそうな部分である。書籍化されているから何とかついていける話の速度と密度であった(全十七講で237頁だから、編集で圧縮しすぎている面があるのかもしれない…)。

 

www.php.co.jp

佐藤優
1960 -
小峯隆生
1959 -

湯浅信之 編『対訳 ジョン・ダン詩集』(1995)

形而上詩人と呼ばれ聖職者でもあったジョン・ダンの詩の読後感は、精神的な世界の経験したというよりも、世俗的な世界を生きる人間の存在感に触れたという感触が圧倒的に強い。身体の生々しさのようなものがじんわりと残る。

HOLY SONNETS 10
聖なるソネット 10

Death, be not proud, though some have called thee
死よ、思い上がるな。なるほど、或る人たちは、お前は
Mighty and dreadful, for thou art not so ;
強くて恐ろしいと言っている。だが、そうではないのだ。
For those, whom thou think'st thou dost overthrow,
何故なら、お前が打ち倒したつもりの人々は、誰一人も、
Die not, poor Death, nor yet canst thou kill me.
哀れな死よ、死なないのだ。お前は、この私も殺せない。
From rest and sleep, which but thy pictures be,
休息と睡眠はお前の似姿に過ぎないが、多くの楽しみが
Much pleasure, then from thee much more must flow,
そこから生まれる。お前からはもっと多くが出るはずだ。
And soonest our best men with thee do go,
我々のなかで最も優れた者たちが、最も早くお前と去る。
Rest of their bones, and soul's delivery.
それは彼等の骨を休め、魂を自由にするためなのである。
Thou'rt slave to Fate, chance, kings, and desperate men,
お前は、運命や、偶然や、王侯や、絶望した者の奴隷だ。
And dost with poison, war, and sickness dwell,
また、毒薬や、戦争や、病気と住み家を同じくしている。
And poppy, or charms can make us sleep as well,
その上、芥子や呪文でも、お前に劣らず、いや、お前の
And better than thy stroke ; why swell'st thou then ?
一撃より上手に眠らせてくれるから、威張ることはない。
One short sleep past, we wake eternally,
短い一眠りが経つと、我々は永遠に目覚めることになる。
And Death shall be no more ; Death, thou shalt die.
その時には、死は消滅する。死よ、お前が死ぬのである。

私は普段、復活も輪廻も信じない質ではあるのだが、この詩を読むと死が何かしら良いものを人にもたらすのかもしれないという感触を持ってしまう。キリスト教の世界では「短い一眠りが経つと、我々は永遠に目覚めることになる」。それは最後の審判の場で、天国と地獄に分かれる厳しい場であるはずだが、この詩の世界では、すべての人が「永遠に目覚め」、等しく新生するようなイメージとなっている。その世界であれば、死は「休息と睡眠」に過ぎず、良い休息は体も心も回復させ、爽快な気分をもたらしてくれるはずだ。「休息と睡眠はお前の似姿に過ぎないが、多くの楽しみが/そこから生まれる。お前からはもっと多くが出るはずだ」という詩文が、ある日のめざめの感覚とともに、そういうものかもしれないとすんなり受け入れられてしまえる。身体感覚で肯定することのできる、不思議な詩になっていると思う。

www.iwanami.co.jp

ジョン・ダン
1572 - 1631
湯浅信之
1932 -

 

エルネスト・ラクラウ, シャンタル・ムフ『民主主義の革命―ヘゲモニーとポスト・マルクス主義』(1985, 2001, 2012)

グラムシヘゲモニー(覇権)概念を根幹に据えた政治理論書。言語学言語哲学を参照して文芸寄りの理論展開をしているところもあり、政治的有効性とは別の面からも、知的に楽しめる一冊。

グラムシについては千葉眞の解説に頼るのが最も明快。

グラムシは、よく知られているように、下部構造による上部構造の基本的規定性(経済決定論)を相対化し、階級史観に基づく固定的な歴史的必然論を相対化した。マルクス主義の主要概念の相対化の作業は、具体的な歴史的・社会的「地形(terrain)」における「境界(frontier)」を媒介にして、言説や文化を基軸とした主導権の奪取という意味での、市民社会内部の諸領域におけるヘゲモニー闘争における重層的決定という概念に帰結していく。(「解説」p422-423)

本書の言説としてはあまりぱっとしない結論は以下の箇所。

左翼にとってのオルタナティヴは、明らかに社会的分断を新たな基盤の上に築き上げる自由‐保守主義とは異なる等価性の体系を構築することにおいてのみ可能となる。階層的社会の再構築の企図に直面して、左翼にとってのオルタナティヴは、みずからを民主主義革命の領域に全面的に位置づけ、抑圧に抗するさまざまな闘争のあいだに等価性の連鎖を作り上げていくことにこそある。それゆえに左翼の課題は、自由民主主義的イデオロギーを否認することにあるのではなく、むしろ逆にラディカル(根源的)で複数主義的なデモクラシーの方向にそれを深化させ拡充していくことにある。(4「ヘゲモニーとラディカル・デモクラシー」p382 太字は本来は傍点)

結論を導きだすにあたって論じられてきた内容は、結論よりも根源的で魅力的。

記号表現が曖昧なものであること、つまり記号表現が記号内容に固定化されないことが可能なのは、ただ、記号内容の増殖がある場合だけとなる。言説構造を脱節合化する〔脱臼させる〕のは、記号内容の貧困ではなく、その反対に多義性なのである。
そうしたことが、あらゆる社会的アイデンティティーの重層的に決定された象徴次元を打ち立てる。社会はどうやっても自己自身と同一になることができない。なぜなら、あらゆる結節点は自らを溢れ出ていく間テクスト性(intertextuality)の内部で構成されるからである。それゆえ、節合の実践は、意味を部分的に固定化する結節点を構築することであり、この固定化が部分的なものであるのは、社会的なものの開放性に由来する。社会的なものの開放性についていえば、それは、言説の場の無限性があらゆる言説から不断に溢れ出すことの結果なのである
それゆえ、あらゆる社会的実践は――おの諸々の次元のうちの一つにおいて――節合的である。それは自己定義された全体性の内的契機ではないので、すでに獲得されている何かの表現などではありえず、反復の原理のもとに全面的に包摂されることはありえない。むしろ、社会的実践とは新しい差異を構築することである。(3「社会的なものの実定性を越えて―敵対とヘゲモニー」p257 太字は本来は傍点)

服従より闘争、停滞より運動、同調圧力よりも差異の祭典。

www.chikumashobo.co.jp

内容:
1 ヘゲモニー―概念の系譜学
2 ヘゲモニー―新たな政治的論理の困難な出現
3 社会的なものの実定性を越えて―敵対とヘゲモニー
4 ヘゲモニーとラディカル・デモクラシー

シャンタル・ムフ
1943 -
エルネスト・ラクラウ
1935 - 2014
西永亮
1972
千葉眞
1949 -

『吉野弘全詩集 増補新版』(2014)

吉野弘の詩は心の向きをやさしく変えてくれる。現実のあたらしい捉え方も教えてくれる。それでいて、固くも重くもない。ステキな重量感のある詩だ。
若き日々に労働組合運動に専念していたということもあってか、労働に関する詩がとても魅力的だ。それもプロレタリアートの闘争という感じではなく、労働をしているときの人の心と労働から離れた時の人の心のありようをうまくすくい上げているところが、すっと心にしみてくる。
『幻・方法』収録の「星」では

有用であるよりほかに
ありようのない
サラリーマンの一人は
職場で
心を
無用な心を
昼の星のようにかくして
一日を耐える。

          (「星」部分)

 

といい、日中の寂しさにやさしく心を寄せていてくれているところがとても印象に残る。さらに、今回読んだ中での私的ベストの詩篇「仕事」(『10ワットの太陽』収録)では、今まであまり意識したことのなかったような人の捉え方がされていて、視界が広がり安堵感が湧き出てくるのを感じた。

仕事


停年で会社をやめたひとが
――ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した。
――退屈でしてねえ
――いいご身分じゃないか
――それが、ひとりきりだと落ちつかないんですよ
元同僚の傍らの椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。

そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
――驚いたな、仕事をしないと
  ああも老けこむかね
向かい側の同僚が断言する。
――人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は肯き他の一人は拒む。

そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
――仕事が見つかりましたよ。
  小さな町工場ですがね
  
これが現代の幸福というものかもしれないが
なぜかしら僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。

仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。

                                                             (「仕事」 全)

 

失った何かというのは、いわば裸の自分といったようなものなのではないかと想像する。嫌いではない仕事に向き合って張り合いのある自分と、職をもたず強制もされないが要求も頼られもせず、関係する世界が縮小するぶん自分をめぐる想いが巨大化して扱いづらく落ち着きの悪い自分。その落ち着きが悪く生気が抜けていくような悩みをもつ人物を「ほんとうの」「なつかしい」人物として、ひそかに評価し慈しんでいる作者がいる。普段そんなふうに評価される場面は出てこないので、詩として、そのような捉え方もあるよと教えてもらえたことに、なんだかホッとした。収入面での契約が途切れた時の自分を想像する際、一種の緩衝材として働いてくれるような詩だとおもった。

 

吉野弘は後期の詩作において漢字遊びの詩も展開している。その中で、先日画集で親しんだ鈴木春信の作品が思い浮かんできたのが『夢焼け』収録の「漢字喜遊病・症例報告(一)」の「雅と稚」。

「雅」は「稚」に似ています
「宮び」「宮廷ふう」という
「雅(みや)び」の美意識そのものが
「稚(わか)さ」「稚(おさな)さ」に通じているかも知れません

「雅」も「稚」もいわゆる仕事をしていない遊びの世界にあるものではないかと、仕事についての詩を書いてきた吉野弘の詩業をたどるなかで思いついたのであった。

青土社 ||文学/小説/詩:吉野弘全詩集

内容:

『消息』(1957)
『幻・方法』(1959)
『10ワットの太陽』(1964)
『感傷旅行』(1971)
『北入曽』(1977)
『風が吹くと』(1977)
『叙景』(1979)
『陽を浴びて』(1983)
『北象』(1985)
『自然渋滞』(1989)
『夢焼け』(1992)
歌詩一覧
収録詩集覚えがき
未刊行詩篇

 

吉野弘
1926 - 2014

河野元昭『浮世絵八華1 春信』(1985)

図版七十点と俳諧美人画)絵本『青楼美人合』全五冊で春信を味わえる一冊。むき卵のようなつるんとした顔立ちの細身の美人が地上のしがらみにとらわれず重さがないようにすっと佇んでいる姿が見るものを夢見心地に誘ってくれる。画題に労働や家事の場面を用いることが多いのに、俗臭が出ないのは不思議なことだ。

春信の魅力に取りつかれた詩人野口米次郎は「雪中相合傘」に詩を捧げ、春信に関する著作もものしているという。

霏々たる大雪さへ暖かさうに見えるではないか、彼等のひそひそ話は何を語るであろうか。恐らく地上の恋愛であるまい。諸君に聞く耳あらば彼らの声を聞け、庭の薔薇が今は失つて仕舞って所有しない言語の響を聞くであろう。

野口米次郎の春信関連の文章も読んでみたいと思った。

収録図版:

1   お仙と団扇売り
2   見立竹林七賢
3   水売り
4   見立高砂
5   お百度参り
6   雷
7   見立孟宗
8   見立小野道風
9   座舗八景・扇の春風
10   座舗八景・台子の夜雨
11   座舗八景・鏡台の秋月
12   座舗八景・琴路の落雁
13   座舗八景・手拭掛帰帆
14   座舗八景・時計の晩鐘
15   座舗八景・行燈の夕照
16   座舗八景・塗桶の暮雪
17   見立鉢ノ木
18   六玉川・調布の玉川
19   雨の夜詣で
20   螢狩り
21   夜の梅
22   めだか掬い
23   梅の枝折り
24   柳の川岸
25   三味線をひく男女
26   ぽっくりの雪
27   雪中相合傘
28   縁先美人
29   縁先物
30   蚊帳の内外
31   蚊帳を出る女
32   紅葉をたく
33   洗い張り
34   風流うたひ八景・絃上の夜雨
35   風流うたひ八景・羽衣の落雁
36   風流うたひ八景・三井寺晩鐘
37   風流うたひ八景・高砂の帰帆
38   風流うたひ八景・ゑびらの晴嵐
39   風流うたひ八景・松風の秋風
40   風流うたひ八景・紅葉狩夕照
41   風流うたひ八景・鉢木の暮雪
42   大門口
43   機織り
44   阿倍仲麿
45   源重之
46   藤原敏行朝臣
47   源信明朝臣
48   五常・仁
49   五常・義
50   五常・礼
51   五常・智
52   五常・信
53   風流四季哥仙・二月 水辺梅
54   風流四季哥仙・雪の犬
55   風流四季哥仙・三月
56   風流四季哥仙・卯月
57   風流四季哥仙・五月雨
58   風流四季哥仙・中秋
59   風流四季哥仙・神無月
60   風流六哥仙・僧正遍照
61   風流江戸八景・浅草晴嵐
62   浮世美人寄花・松坂屋内野風
63   浮世美人寄花・山しろや内はついと
64   草履けんじょ
65   子供の相撲
66   騎馬童子
67   羽根つき
68   見立東下り
69   見立寒山拾得
70   鷺娘

 

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鈴木春信
1725 - 1770
野口米次郎
1875 - 1947
河野元昭
1943 -